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表現は勇気

「表現は勇気」
新入社員にSNS研修で炎上をテーマに話している時に、ふと浮かんで来たフレーズです。

▶SNSとの付き合い方(研修備忘録)はこちら

「炎上」に注意して欲しい研修、勘違いされても困るので、あまり深掘りはしなかったけど、何かを表現する以上、少なからずリスクを覚悟しなきゃいけないと思っています。
物書きする時、リスクを回避するのであれば、スタンドアローンな環境下で、誰にも見せず、自己完結で書いていればいいと思います。

例えば、私が大学時代から書き続けている私小説、個人的には自身の初期と今の文体の変化や主人公の成長、今後の展開を含めて、それなりに面白いんです。でも、性格も立場(役柄)は全く違うけど、登場人物が知人たちの実名…。

公開前提で書き始めた訳でもないし、何より、それぞれのキャラが勝手に動き始めたからこその面白さなので、今さら変更する必要もないかな。だから公開しないで、1人で楽しんでいます。だって、僕がまさかあの子と結婚するなんて、想像しませんでした。

もし、何かの間違いで公開して、誰かに読まれるのも恐いので、NOTEの下書きにも入れていません(笑)

唯一、その存在を知っているのは「ドッペルゲンガーな彼女」だけ。
学生時代に『私も出して』のリクエストに応えて、今でも絶賛出演中。存在感のある人なので、作中でも大切なキーパーソンとして活躍してくれています。
結婚相手かって?さぁどうでしょう。

▶ドッペルゲンガーの彼女についてはこちら

誰かに読んでもらいたいから、誰かの目に触れる空間に書き込んでいるハズ。そのメッセージが読み手の琴線に触れ、感情の変化につながり、バズったり、炎上したりする。感情を揺さぶって、感動を引き起こしてバズらせるか、過激で反社会的な内容で炎上させるのか…。仕組みの根っこは一緒だと思っています。
簡単なのは後者だけど、誰かに共感に繋げたくて、僕は、こうして書いています。将来の自分に向けて書いている部分も少なからずありますけど…。

ここまで書いても大丈夫。ここから先は微妙。
その線引きは、書き手の経験値からくる感覚そのものだけど、ギリギリを攻めたいから「表現には勇気」がいる。

だからこそ楽しいんだ。

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