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「懺悔の値打ちもない(阿久悠・北原ミレイ)」考察
懺悔の値打ちもない(歌詞)
あれは二月の寒い夜 やっと十四になった頃
窓にちらちら雪が降り 部屋はひえびえ暗かった
愛と云うのじゃないけれど
私は抱かれてみたかった
あれは五月の雨の夜 今日で十五と云う時に
安い指輪を贈られて 花を一輪かざられて
愛と云うのじゃないけれど
わたしは捧げてみたかった
あれは八月暑い夜 すねて十九を越えた頃
細いナイフを光らせて にくい男を待っていた
愛と云うのじゃないけれど
私は捨てられ辛かった
あれは何月風の夜 とうに二十歳も過ぎた頃
鉄の格子の空を見て 月の姿が寂しくて
愛と云うのじゃないけれど
私は誰かが欲しかった
そしてこうして暗い夜 年も忘れた今日のこと
街にゆらゆら灯りつき みんな祈りをするときに
懺悔の値打ちもないけれど
私は話してみたかった
〈心理カウンセラーとしての考察〉
この阿久悠さんの作品は、まさに今の社会に極まっていると感じる
この物語は、生きるとは何か、愛とは何かを、家族や周囲から授かることが困難だった少女をモチーフにした、戦後、いよいよ日本の変節が明らかになりつつあった1970年に、阿久悠さんが世の中に発した警告だったのだろうと思う
あれは二月の寒い夜
やっと十四になった頃
部屋はひえびえ暗かった
十四の少女に部屋があると言うことは、もしかすると彼女は充分に豊かだったのかもしれない
積み木くずし・スクールウォーズ・不良少女と呼ばれてなどのタイトルが紙面をにぎわせた昭和50年代を目前にした作品というところから、阿久さんの思いを読み取ると、帽子的にはそのように落ち着く
特に不幸な生い立ちをしているのではないにもかかわらず、自分の存在がうつろで生きることに疑問を感じ、それを解消できないまま思春期を迎えた少年少女は、その言葉には出来ないわだかまりを世の中に向かって爆発させたり、逆に、寂しさのあまり、悪い大人の甘言に引っかかって人生を台無しにしたりすることが昭和40年代以降、都市部を中心に増え始めてきたのだろうと思う
そして今、それは、都市部だけではなく日本全体に広がっている
阿久さんの「懺悔の値打ちもない」は、大人たちへの共感を誘う目的よりも、大人たちに、彷徨いつつある子どもたちに対して、大人が果たさなければならない責任を訴えつつ、この歌を聴いた若者たちに、道を踏み外すんじゃないよ、このお姉さんのようになっちゃダメだよ、このお姉さんは、君たちに同じ過ちを犯さないように、人に知られたくないこの話をしてくれたんだよ。。。とメッセージを放ったんじゃないかと思う
阿久さんが危惧した未来
今、インターネット上では、少女たちが、まるで使わなくなった自分のバックをメルカリで売るかのように、自分の身体を売るような様子を察知することがしばしばある
金で身体が買えるなら買う男はいる!
帽子は買ったことはないが、それには帽子なりの矜持があったからで、そういったものが無ければ、帽子だって買っただろう
男は本能的に種付けの機会をうかがい続けている生き物だ。
そういうモノだから、それを前提に日本社会は秩序を安定させる試みを繰り返し続け、江戸時代には、男女混浴にしておいても、何ひとつと言って良いほど性犯罪が発生しない秩序を実現していた
その秩序は明治に西洋文明という強大で野蛮な文明に浸食され、失われてしまっている
長い目で見れば、江戸時代の秩序を取り戻す試みを続ける必要があるだろうし、現時点では、大切な少女たちの身体を守る試みが必要とされるだろう
政治は、金を出せば自分を自分で守れる人のためにあるのではない
最も弱い立場の人たちが、安心して暮らせる秩序を求め邁進するのがその本道ではないだろうか?
家族で孤立し、学校で孤立し、友好関係でも孤立する
そう言った少女たちの中には生きるため(金を得るため)に自堕落な大人たちに身体を提供することに罪悪感すら感じていないケースも多いようにうかがえる
そういった少女たちが切り売りしているのは身体ではない
いつかその大切さに気付かされた時にやってくる絶望
すなわち少女たちの心であり魂だ
阿久さんがこの楽曲で警告を発して既に半世紀
今日もどこかで、社会で最も弱い立場に追い込まれた少女が、自分の心と魂を切り売りしている
心理カウンセラー 黄色い帽子(田中真稔)