避難先の情報は自分で取りに行くべし!小学校の体育館床から校長室のソファ席へ

ホテルのスタッフの誘導に従い、ぞろぞろと歩く宿泊客達に混ざり、両親と二人で歩き始めた。

時刻は夕方4時半頃、もう直ぐ日が暮れようとしている。

宿を出てから10分ほど歩いたところで、誘導するホテルのスタッフが立ち止まった。

トランシーバーで連絡を取り合う宿のスタッフのやり取りを横で聞いていると、避難所がどこもいっぱいでスペースがないらしい。

全員が道路の真ん中で立ち往生することになった。

津波の危険性を避けるためにホテルから避難したのに、こんな平地で立ち往生して大丈夫なのだろうか・・・。

行き先を待っている間、同行している宿の仲居さんたちが「大丈夫ですか?寒くないですか?」と声をかけ続け、座布団、ペットボトルの水、ホッカイロ、バスタオルなどを支給してくれた。

コートも着ず、着物姿の仲居さん達の方が、ダウンコートやマフラーに包まれた私たちよりも寒いはずなのに、あくまで宿泊客を最優先で気遣う心に自然と心がほぐれる感じがした。

そして、15分から20分ほど待っただろうか。
道路の真ん中で20名ほどの宿泊客が立ち往生する光景は異様だっただろう。
幸い、外は風もなく、雨も降らず、極寒というほどではなかったが、3ヶ月前に大動脈解離で大きな手術をしたばかりの72歳の母と83歳の父が身体を冷やしてしまうことが一番心配だった。
身体が冷えてからでは遅いため、自宅から持ってきた貼るホッカイロを両親の首筋に貼り、応急処置をした。

その後、間も無くして避難先が小学校であると説明され、さらに10分程度歩いただろうか、街灯が灯るほどに薄暗くなった夕方5時ごろ、ようやく小学校の玄関に辿り着いた。

小学校の玄関から体育館に入ると、既に人が溢れかえっており、座り込んでいる大勢の人たちの中に私と両親の3人が座れるスペースを見つけ、「すみません」と言いながら場所をとった。

座布団2枚も敷けるかどうか、という狭いスペースだったが、両親の心身に疲労をきたさないよう、とにかく座ってもらった。

そして、体育館の入り口付近に集まる宿のスタッフに今後どのような動きになるのか確認をした結果、「私たちも情報待ちでわからないんです。」とのこと。

そんな中、場内アナウンスが流れ、保健室と一部の教室は暖房が入っていること、病人や妊婦さんなど特別な事情がある人については対応の余地がることが告げられた。
私は母に保健室に行くことを提案したが、「大丈夫」との返事。
その時点で6時頃だっただろうか、日はとっぷりと暮れて夜の闇に包まれていたが、津波の心配がなくなった後は宿に戻る可能性もあるのではないかと考えていたからだ。

その後、私も母も尿意を催したため、トイレに行くと、10人ほど行列ができており、トイレの水が流れないことがわかった。
便器の中は流されないままのトイレットペーパーの山が積み重なっていた。

私の中で段々と危機意識が高まり、人ごみの中に宿の従業員を見つけて宿に戻る可能性があるか確認した結果、「宿に戻ることはございません。」。

私は両親の元に戻り、今晩は体育館で一晩を過ごすことになること、長期戦になる可能性があることを伝えた。
途端に母親の顔が不安で曇るのを感じ取った私は、このまま冷たい体育館の床で一晩を越すことは底冷えし、体調を崩しかねないと直感し、保健室に向かった。

小学校の保健室に行き、母が3ヶ月前に大動脈解離で胸の骨を切り、人工血管を入れる大手術をしたこと、高血圧のため、血圧のコントロールが必要で、血管にストレスを与えないことが必要である旨を伝えた。

保健室の方はすぐに反応し、「ベッドに横になりますか?」と聞かれたが、私は横になるよりも暖をとる必要性を訴えた。冷えにより血管にストレスがかかることを懸念したからだ。

すると、保健室の担当者は「私たちでは判断しかねるため、司令室に相談してください。」とのこと、司令室に向かうことにした。

ところが、司令室なるものがどこにあるのかわからず、廊下にいる人に聞くと、2階の職員室だという。

すぐに階段を上がって2階の職員室のドアを開けると、ヘルメットをかぶった男性たちが数名待機していた。
私が事情を説明すると、「校長室なら暖がとれます。直ぐに移動してください。」
とのこと。
母の次に父の身を案じた私は、
「私自身は体育館で待機しても構わないのですが、83歳の高齢の父親も一緒にいるんです。」と伝えた結果、「もう皆さん入っちゃってください。早い者勝ちです。」とのことだった。

私は直ぐに体育館に戻り、両親に校長室に移動するように伝え、3人一緒に校長室に直行した。

校長室を開けると、蛍光灯が明るく照らす応接部屋のようなスペースに5、6人ほどの人たちが座ってこちらを見ていた。

目の前に応接用のソファのスペースが目に入った。
一番奥のちょうど3人座れるスペースに、私は直ぐに父と母を座らせて、母の様子を見るために横に座った。

校長室には歴代の校長の写真が壁に飾られていたが、地震の揺れによって何枚かは傾き、戸棚に積まれた本やファイルや置物は床に落ちて散乱していた。

一緒にいる人たちはただ黙ってうつむき、毛布に包まりながら暖を取っていた。

ここならなんとか一晩冷えずに過ごせそうだ。

暖を取れる場所を取ることができたことにまずは一安心した。




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