他者奉仕が自己犠牲から喜びに変わった瞬間
今年の夏は、自己本位性・自己中心性と向き合ってきた夏といっても過言ではない。
アバター創始者のハリーが自己本位性・自己中心性の弊害について言及するたびに、反発・反抗する私がいた。
「小学校の道徳の時間みたい。」
「なんて退屈な話なんだろう・・・。」
そう思いながらも、深いところで、ハリーの話が真実であろうことを察知し、深く頷いている自分がいた。
いみじくもハリーは言う。
「人生で一時停止サインが見えた時、自己中心性・自己本位性を見直す時だ。」
休職し、人生をリセットしたけれど、車輪が前に動き出さないまま止まってしまっている原因は、私の中の自己本位性・自己中心性であることを認めざるを得なくなった。
つまり、自分に注意関心が向きすぎているのだ。
私のエゴはこう言う。
「他人のことなんてかまっていられないわ。だって、自分のことで精一杯なんだもの。」
でも、アバターでは、そう言う時こそ、自分から外に意識をシフトさせる訓練をする。
例えば、何かができなくて自分が落ち込んだ時、その何かができている人を心から賞賛するのだ。
こうすることで、自分にだけ向いていた注意関心のベクトルが反転し、外に向く。
行き詰まっていたエネルギーが流れ始め、滞っていたエネルギーが循環し始めるのだ。
アバターマスターコース最終日、既にコースは修了していたが、消化不良なまま帰りたくなかった私は、仲良くなった受講生とペアを組んで、私の中の自己本位性に焦点を当ててワークすることにした。
既に夕方6時を過ぎていたが、帰りのバスに乗るだけの準備を整え、チェックアウトしたスーツケースを横に携えつつ、私たち二人はホテルの片隅のソファに座ってセッションを開始した。
中世のお城で、薄暗く湿り気のある石畳の隅にうなだれて座っている男性が見える。
髪の毛は栗色で癖っ毛のパーマがかかっており、肩くらいまでの長さ。
彼は牢屋に入れられているのがわかる。
彼は自分より身分の高い女性を好きになり、その女性を助けようとしたが、失敗に終わって牢屋に閉じ込められてしまった。
自分を犠牲にして愛する女性を助けようとしたのに、結果としてその女性を助けることもできず、自分も牢屋に閉じ込められて殺されている。
その時に感じた絶望感を感じきって消去する。
「まだ続けたいですか?」との落ち着いた穏やかで優しい声に、私は頷く。
まだ続けたいですか?」との落ち着いた穏やかで優しい声に、私は頷く。
まだ疼く体感に意識を向けて行くと、意識が真後ろに向き、そのままどんどん意識を向けていくと、次第に見えてきたのは、髪の長い女性の姿。
白いワンピースのような服を着ており、献身的に両親の介護をしているが、徒労に終わり、両親は二人とも病死してしまい、絶望感に打ちひしがれている。
その時に感じた悲しみを消去する。
すると、真っ白い光に包まれて、スッキリした感じがあった。
「まだ続けたいですか?」との落ち着いた穏やかで優しい声に、私は、「だいぶスッキリしましたが、一応、念の為。」とお願いする。
もう一度、意識を疼いた箇所に向けて、その方向性に意識を投げかけ続けると、やはり真後ろに意識がまっすぐ向かっていったが、その先は真っ白に発光する光でしかなかった。
スッキリした表情に相方も「表情が全然違う」と驚いた様子。
そして、セッションがうまくいったかどうか確認するために、もう一度、他者奉仕についての欲求と抵抗についてセッションを行った。
すると、セッション前は「自己犠牲、自己欺瞞、偽善」などというネガティブな言葉しか出てこなかったのに、セッション後は「喜び、満足感」といったポジティブな言葉が自然と湧き出てきたのだ!
これには私も相手もビックリした。
特に、相方は過去生などに馴染みがなかったらしく、「こんなことってあるんですね」と目を白黒させて驚いていたが、私にとっては何度か見ていたビジョンだっただけに馴染み深かった。
他者奉仕に対する嫌悪感の原因が過去性にあったとは、思いもよらなかったが、スッキリしたかっただけに、原因は何でも良かった。
既に夜の7時半を回っており、ホテルから出発する帰りのバスに乗る時間が迫っていた。
慌てて荷物をまとめ、ホテルのクロークに預けていた荷物を取り、実家用にホテルのフルーツパウンドケーキを買い求め、ホテル発のバスに乗り込んだ。
こうして9日間に及ぶマスターコースは幕を閉じた。
ちょうど台風が上陸し、暴風雨で新幹線も止まっていたが、タイミングよく雨に濡れることなく、夜行バスで帰る私の心は晴れやかだった。