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過去の出来事に囚われた意識を解き放ち、自分に力を取り戻す

アバターインテグレイテッドコース2日目は、過去の出来事に囚われた意識を解き放ち、自分に力を取り戻すワークをした。

ワークの説明を聞きながら、思い浮かんだ過去の出来事が一つあった。

10年ほど前だろうか、人生で初めて結婚したい、一生この人に添い遂げたい、自分の全人生をかけてもいい、全身全霊で尽くした人がいた。

でも、その人は結婚を望んでおらず、私は諦めるしかなかった。

本当はその人と過ごしたい晴れた日曜日の午後、私は思い出の場所にでかけ、一人で過ごすことにした。

もしかしたら、その人に会えるのかも知れない、その人もその場所に来るかも知れない、という淡い期待を抱きながら。

期待通り、その人はその場所に現れた。

他の女性を横に連れて。

その時のショックは原爆投下並みだった。

悲しみに涙した後、湧いてきたのは怒りと憎しみと嫉妬だった。

文字通り我を忘れ、ストーカーのように二人の後をつけ、少しでも二人の親密な時間を妨害したくて、二人が肩を並べて帰ったのを見届けた後、薄明かりのついたマンションの一室をピンポンダッシュして逃げた。

・・・というストーリーをドラマチックに思う存分に語り、

その次に身の回りにある物に意識を向け、詳細に描写する。

例えば、ホテルの椅子の形、素材、大きさなど。

そして、自分の意識が過去のトラウマ的出来事から解放されたと感じたら、

また過去のストーリーを詳細に語るのだ。

その時に感じた抵抗、悲しみ、怒りなどのエネルギーを特に意識しながら。

私の場合、意識の転換を何回だろうか、5回以上は繰り返したと思う。

「いつ終わるんだろう・・・」

と果てしない思いが頭をよぎりながらも、だんだんと過去の出来事に対する描写がより端的に、そして、より俯瞰的に、ニュートラルになってきているのを感じる。

同時に、それまではなかった認識がだんだんと意識の中に入り込んでくるのだ。

「こんにちはー。はじめましてー。お邪魔しまーす。」

というような感じで。

そして、感情的に彩られ、脚色されたエネルギーのベールが1枚、また1枚とはがれはじめ、本当に起こった事実と、自分にとっての真実が顔を出し始める。

本当は、脈のない、未来のないその人との関係性を断ち切ろうとずっと努力していたタイミングだったこと。

本当に欲しいのは、その人ではなく、その人と一緒にいる時に感じる絶対的安心感というエネルギー感覚であること。

人に依存する自分から卒業し、自分自身の内面に絶対的安心感を見出そうとするステップを歩み始めた時期だったこと。

自分が本当に望むものが明確に見えているのだから、本当は痛い目に遭う前に気づいて離れればよかったのに、執着し続けたストーカー的なイタくて怖い自分も見えてきた。

原子爆弾投下並みのショックは、執着から離れたいのに離れられないハイヤーセルフが見るに見かねて、「お前、いい加減に気づけよ、目を覚ませよ。これくらい大きなショックを与えないと目を覚まさないでしょ。」と言って起こした自作自演の出来事だったこと。

さらに、すべての源であり、創造主である私は、その人といる時に感じた絶対的安心感も自由に創り出したり、消したりもできること。

そして、好奇心旺盛な私の魂は、原子爆弾投下並みのショック、悲しみ、怒り、嫉妬という感情を味わいたくてこの地球に降りてきたこと。

これらの気づきが芋づる式に一気に見えた時、まるで韓国ドラマの主人公のような役を演じている自分ってすげーな!と素直に思えて笑っている自分がいた。

そして、私が好きだったその人は、その人が見せる、おそらく一番格好の良い側面のほんの一部で、全体像は私の知らない面もたくさんあること。

そのことに気づかず、自分の持っている認識だけでその人に惚れ込んでハマって傷ついて・・・って、どれだけ自分が視野狭窄だったかも見えてきた。

こんな面白いドラマを作った私ってすごいなー!
すっごい面白いドラマを演じられてすっごい楽しかったなー!

・・・と過去のトラウマ的な出来事に対する視点が丸っと変わってしまったのだ。

私のシフトぶりを目の当たりにしたコーチ役の受講生は目を丸くし、キラキラと瞳を輝かせているのが目に入った。

ワークが終わった後は、まるでジェットコースターを降りた時のような疲労感と爽快感と達成感が入り混じったような感じだった。

「あー、面白かった!」

という言葉が自然と口を出た自分を不思議とも思わなかった。

今日という一日の終わりにこれを書きながら、過去の出来事に囚われていた力が自分に戻ってきた喜びを噛み締めている自分がいる。

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