4年間を経てわかった、真の「教育」。
4つ目の投稿となりました。
予想以上に反応いただきまして、ありがとうございます。
このモチベーションがいつまで続くのやら・・・と思っておりますが、
皆様どうか温かい目で見守ってください。(笑)
さて今回は、東京に進学して一番大きな収穫であった、「塾講師」としての経験をお話ししようと思います。
上京を決意
高3の時に、たまたま高校の先生が見つけてくれた「東洋大学国際観光学部」のAO入試(高校時代に地域活性化に取り組んだ実績をプレゼンするもの)に無事合格し、東京に進学しました。
そもそも東京に進学することは、周りの方々からもさまざまな意見をいただいていました。
「タメになるからしっかり4年間学んできな」
「おもいっきり好きなことして遊んでこい!」
「バカなこともやるべきこともしっかりとな」
「もしかしたら違うやりたいことが見つかるかもしれないしね」
一方で、
「東京に進学するのは時間がもったいない」
「もう行ってしまったら二度と帰ってこないだろうね」
と言われたことも。
私が東京に進学した理由は、「外からの那須を客観的に見てみたい」という思いだけでした。
※この辺りのお話、大学で学んだことはまたお話ししますね。
東京にいる間に絶対にやりたかったこと
上京する時に、一つだけ決めていたことがありました。
「塾の先生をやる」
ただそれだけでした。
そもそも中学3年生の頃から学校の先生を目指していた私は、
起業したことでもう一生なることはないと思ったので、
せめて東京にいる間に先生を経験しておきたいと思っていたのです。
ただ、はじめての東京。
しかも、受験戦争の中心地。
そこで出会ってしまったのが、
特に高校受験では首都圏最大の進学塾、
「早稲田アカデミー」です。
(なんとなく求人で見つけただけです)
早速面接に行き、わけもわからないまま、
「模擬授業をやってください」
と言われました。
これこそ私のプレゼン力(?)の出番!と、
情熱と大声で本気を出しました。
面接では、高校生社長だったことも伝え、
(なんでここに来たの?という顔をされましたが(笑))
1週間後に呼ばれました。
「ExiVに来てください」
ん、、?
調べてみると、200近くある校舎の中で4校のみある、
最難関校受験対策校舎だったのです!!
これはやばいぞ、、、、、、
葛藤と面談室でのできごと
入ってすぐに、夏期講習会があり、
教えた生徒、向き合った生徒が見る見るうちに成長していくことに加え、
レベルの高い授業を追求できる楽しさに、
楽しく働いていました。
週に2〜3日入って、それでも本気で生徒に向き合い続けました。
自分のプロフィールを明かしていけないことがルールでしたが、
「人生は勉強だけじゃない。いい大学に行くことだけではないぞ。」
と語ったり、起業する面白さを伝えたりとしていました。
そんなある日、呼び出されました。
「君が話していることは関係ないことだから今後一切話さないように」
ときつく叱られました。
そう、ここは数多ある塾の中でも、トップを走り続けなければいけない進学塾だったのです。
葛藤しました。
「俺のやりたいことはこれじゃない」
面談室に、当時師匠と勝手に呼んでいた先生を呼びました。
「俺やめたいです」
「人生は勉強だけじゃないのに、他にいろいろな道があるのに、
俺、嘘つきたくないです」
少しの沈黙の後こう言われました。
「たしかにお前の言う通りだ。俺もそう思う。
ただ、勉強することで選択肢は増える。
受験に向かって本気で努力する過程で得られることもある。」
今覚えば、本当にその通りでした。
受験戦争の中、本気で努力する子どもたちの目は、
我々大人が忘れている目をしてました。
しかし当時の私は、だったらこの年度が終わったらやめてやるわ
という気持ちで、無印良品のバイトをはじめ、
3月で辞めることを決意しました。
一番最初に担当した子たちが受験生に
一番最初に授業をしたのは、中学2年生でした。
一番下のクラスの、ちょっと大変なクラス。
でも本気で授業をするうちに絆ができて、
成長していく姿、成績が上がり上のクラスに上がっていく姿に勇気づけられていました。
そんな子たちが、3月に中3になりました。(塾では1か月早く進みます)
そう、私が辞めると決めていた月です。
辞めると決めていましたし、中3を担当する責任も持てなかったので、
担当からは外れました。
そんなある日、一人の生徒が私のところにきました。
「先生、受験まで私たちのクラスを担当してください」
新しい先生とうまく合わなかったようでした。
しかも私が中2で担当していた教科は国語。
その子たちが困っていたのは、英語でした。
「担当はできないかもしれないけど、最後まで見届けるよ」
こうして残ることを決めたのです。
「自分が未熟でした。もう少し勉強させてください。」と
上司に伝えました。
担当するはずがないと思っていた受験生
私がいた校舎は、当時900人近くの最大の校舎で、
合格実績でも他の塾の追随を許さない圧倒的な勢いでした。
もちろん受験生の担当はスペシャリストばかりです。
そう、私がなれるはずがない。私の土俵ではありませんでした。
しかし、日に日に生徒たちの想いは強くなっていき、
何度も何度も私が担当することをお願いしにきました。
あ、冗談じゃなかったのかな〜なんて嬉しく思っていたのですが、
なんかやけに生徒たちの目が本気なんです。
そもそも中2の一番下のクラス。やる気のない子も多かったです。
私と喧嘩になることも。
でも彼らとは向き合い続けました。
授業中はちゃんと笑いも生まれる授業にするために必死に準備をしましたし、授業後も分かるまで徹底的に教えました。
彼らとできた絆は本物だったのかもしれない。そう気づいたのです。
夏期講習会直前、校長に呼ばれました。
なんか嫌な予感・・・。何かした・・・?
そんな時、私の口から咄嗟に言葉が出ました。
「・・・、ち、中3を担当させてください・・!!!」
校長はニヤッとしたあと、真剣な顔で、
「これは真剣勝負だ。自分がどうなっても彼らをサポートする覚悟はあるか?」
「はい、全力で頑張らせていただきます」
夏期講習会から、中3の6クラス中6番手の英語講師になりました。
最高に熱かった夏
夏期講習会、自分のことなんかどうでもいいと、毎日彼らに尽くしました。
そして、経験しておきたいな思い、中1の合宿にも参加。
やらかしました。
最高すぎました。
めちゃくちゃ怒られたし、最後は声が出なくなっていたけど、
あんなに本気を出した4日間はないでしょう。
実は、この中3を担当する本気さなどを評価いただき、
期待を込めて、中1の最上位クラスを担当したんです。
全校舎からエリートが集まったクラス。
最終日のアンケートでは、1位の先生に0.2ポイント差で負け、2位。
1位の先生は英語の先生で、レジェンド。プロ。
しかもその先生は、合宿全体のMVPでした。
悔しかったけど、いい勉強でした。
最後、クラスの生徒たちから
「自分の校舎でも担当してほしい」と言われ、
涙の別れをしたのを鮮明に覚えています。
この「本気」に火がついてしまったのです。
校舎に戻ってからの私は、もう誰よりも熱く、生徒に向き合い続けました。
徐々に担当させていただける授業も増え、保護者の皆様にも評価いただき、
のめりこんでいきました。
まさかの冬
12月。いよいよ受験も佳境。
そんな時、衝撃が走りました。
私の上の二つのクラス(4番手と5番手)を担当していた先生が、入院したのです。
校長に呼ばれました。
もちろん、中3を3クラスを担当するなんて、とてつもない責任と、ハードさです。ほぼ不可能。
「校長、やらせてください。」
上の二つのクラスには、中2のときに担当した子や、クラスが上がった子たちがいたのです。
「最後までやり通せ。命を懸けてでも。」
受験の厳しさと悔しさ
必死に勉強し、授業の準備、保護者対応、生徒との面談。
生徒が受ける学校は過去問も10年以上解き、やれることはやり尽くしました。
(この辺りで大学そっちのけで・・・汗笑)
毎日夜遅くまで生徒と向き合い、年末年始も休まず授業をし続けました。
抱えた生徒は50人を超え、全ての生徒の成績と志望校を把握しました。
受験当日の朝、凍える手で6:00すぎから生徒を待ち続け、
最後の最後まで激励しました。
結果発表の日。
祈りながら電話を待ちます。
だいたい早くかかってくる子はいい知らせなんです。
相次ぐ合格に叫びまくりました。
喜びも束の間。
徐々に辛い電話になっていきます。
電話先で聞こえる泣いている声。
崩れるように来校する生徒。
そういう子たちほど最後に言うんです。
「先生、ごめんなさい」
1日も惜しまず努力しても叶わない。
もしかしたらもっとこうしておけばよかったと後悔があるかもしれない。
こうして子どもたちは成長していくんだなと思いました。
こんな経験してみたかった・・・と、2年目を終えました。
飛躍した3年目、集大成の4年目
この悔しさを絶対に忘れないと、さらに火がつきました。
大学の授業はできるだけ午前中に詰め込み、昼過ぎからは塾へ。
最高の準備と最高の授業を心がけ、授業が終わったら美味しいお酒を飲み、また次の日朝から大学へ、という生活を毎日していました。
この年の中3は、中1から3年間受け持っている子たちでした。
そんな矢先、コロナで学習できる環境が・・・
うちの塾はすぐにオンラインで授業をできる環境を作ったことで、
逆に多くの生徒が入塾してくれました。
期待と評価をいただき、毎日ほぼ全てのコマに授業を任せていただき、
小6も担当することになりました。
(なんと前の年に引き続き中3の3クラスに加えて、小6もあったので地獄でした(笑)
また、日曜日にある高校受験の特別講座「必勝」も担当させていただきました。(自分にはありえない世界だと思っていました)
前の年に学んだことをいかして、、
それでもうまくいかなかった生徒も多くいます。
それが勝負の世界。
4年目には、日曜日の「必勝」の最大規模である池袋会場を任せていただき、校舎のポスターにも載りました。
「本気の教育」の必要性
この4年間を通してわかった、「本気で学ぶ」「目標に向かって本気で努力する」ということ。
これはもちろん勉強だけではありません。
スポーツや芸術にも言えること。
ただ、このような経験を首都圏の多くの子どもたちはしている。
じゃあ、地域でもできないのか?
もちろん勉強だけではないし、いい高校や大学に入ることを目標にしなくてもいい。そう感じたんです。
どんなことでもいいから、子どもたちが「本気」で「全力」で何かに向き合っていける環境。
成功と失敗によって自己肯定感が高まり、何にでも恐れずチャレンジできる精神。
そして学びや経験から得られる、宝。
そこにもう一つ。
それが「地域教育」です。
※これはまた詳しく書きますね。
地域教育により、地域の誇りを醸成できたら、
もう、最高な地域ができるに決まってるじゃないですか。
まさに、「本気の教育」の必要性がありますよね。
いやー、熱くなりすぎてうまくまとめられませんでした(笑)
長文でごめんなさい汗笑
でも、それほど本気でしたし、今でも熱は冷めてません。
4年間で教えた生徒は1,000名を超え、
約10名の開成国立、100名を超えるMARCH附属校・早慶附属校の合格に携わってきました。
勉強が全てではないとわかっているからこそ、得られたことかもしれません。
塾に通った経験がない私は、彼らを羨ましく思いました。
そして、4年間関われたことに感謝しています。
まずは、教え子たちが那須に遊びにきてくれたらな〜と(笑)
(これこそまさに関係人口!!)
那須でも教育事業を始めようと思っています。
今後も温かい目で見守っていただけたら嬉しいです。