大演習の歌 (陸軍戸山学校軍楽隊)。
伊藤隆一指揮、陸軍戸山学校軍楽隊の歌唱・伴奏による「大演習の歌」。作詞は仙台在住の詩人で「荒城の月」で有名な土井晩翠、作曲は軍楽隊員の誰かですが、名前は伏せられております。徴兵制度が存在した戦前、男子は二十歳になったら徴兵検査を受け、甲種合格だった場合は、陸海軍のどちらかに入らなくてはなりませんでした。陸軍の場合は二年制であり、正月明けに家族や親類に見送られて営門をくぐり軍隊生活がスタート。最初の一年目は猛訓練と古参兵のシゴキの日々。その訓練期間は学校同様三期に分けられており、その一年間の締めが毎年秋に行われた「陸軍秋季大演習」でした。初年兵にとっては一人前の兵士になる為の正念場でもあり、年末の除隊を控えた二年目の古参兵には兵営生活最後のビッグ・イベント。此の大演習とは陸軍の一個師団が丸々参加して行う為、例えば東京の歩兵第一師団は富士の裾野にある広大な演習用地に移動して挙行されました。歩兵、砲兵、騎兵、工兵、輜重兵らが入り混じった実戦さながらのレベルだったのです🔥。
「大演習の歌」はワンコーラスあたり二行の歌詞、全八番構成の溌剌とした明るい旋律であり、小学生でも歌えるような至ってシンプルな出来となっております。此の時期の入営している兵士らには農家の次男三男が多く、中には小学校しか出ていない者も居たことから、あまり歌唱に苦労する様な難しい楽曲は避けられた可能性もあります。これの裏面はマーチにアレンジされた吹奏楽「大演習行進曲」が組まれ、シンプルなメロディに新たなパートを付け加えた、実に聴きごたえあるサウンドになっていました。当時の陸軍軍楽隊には後に声楽家として活躍する永田絃次郎こと金永吉が在籍しており、若しかしたら此の歌の合唱にも加わっているのかも知れません。此のレコードは昭和7年秋の発売でしたが、満洲事変後の影響で陸軍戸山学校軍楽隊による軍歌や吹奏楽の人気と需要が高かったのか、メジャーからマイナー会社に至る迄、録音に引っ張りだこ。中でもポリドールでのリリースが群を抜いて多く、特に「爆弾三勇士の歌」は場外ホームランとなりました😀。