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吉良の仁吉 (美ち奴)。
美ち奴の歌う「吉良の仁吉」。萩原四郎作詞、山下五郎作曲で、彼女の代表的な一曲です。幕末の“裏の英雄”とも云うべき清水次郎長に並ぶ侠客が『吉良の仁吉』。腕っぷしが強いだけでなく、義理人情に厚い性格だった彼は、18歳の頃に次郎長一家の世話になり兄弟盃を交わす存在に。そして吉良に帰り一家を形成しますが、やがて清水一家の舎弟である伊勢吉五郎の縄張りを襲った穴太徳次郎と対立する事になります。1866年4月、荒神山の争いに参加して、伊勢一家は勝利を収めるも、哀れにも仁吉は討ち死にを遂げ、その短くも熱い28年の生涯を終えました。その後彼は講談や浪花節、更に映画の題材として脚色も交えながら世に広まるのですが、特に二代目廣澤虎造の語りは逸品でますます仁吉の名を高めました。その人気冷めやらぬ中、早速歌謡化の運びとなったのです🎙️。
「吉良の仁吉」は虎造の浪曲をベースにしているので、イントロの“ぺぺぺんぺんぺんぺん…”と云う三味線の撥さばきといい、出だしのメロディといい、今まさに名調子が始まるかの様な雰囲気。四番構成で、美ち奴は仁吉の人となりを艶と力強さのある声で歌い上げており、節回しも虎造の長所ものにしているような。歌詞には🎵お菊十八恋女房…と出て来ますが、実際の仁吉は妻帯しないまま斃れたので此れは後世の創作でした。また四番の出だし🎵嫁と呼ばれてまだ三月…には、当時長期化する日華事変で結婚早々に夫が出征、そして戦死して未亡人が増えていた事を遠回しに歌っている…とも言われております。戦争が長期化する中、此の歌は大ヒットして美ち奴の人気は更に盛り上がりを見せるのです。裏も同じ顔触れによる「おけさ人形」で、昭和14年秋に発売されました😀。