さくら音頭 (柳橋歌丸・富勇)。
ようやく3月も下旬となりまして、桜の便りが舞い込む季節となりました。と云う訳で桜絡みに歌を一つ。それが此の「さくら音頭」でして、鶯芸者ブーム華やかりし昭和9年春に発売されています。前年の夏にビクターから出た「東京音頭」が異常とも言える大ヒットを記録して、全国の空き地や花街から毎日毎時間と言っても過言ではないくらいに其の音色がなり響き、作詞作曲者の西條八十と中山晋平はすっかり参ってしまったと云う逸話が残る程。第二弾が計画されるのも自然の成り行きでして、その新曲は「さくら音頭」に決定。作詞は西條の後輩の佐伯孝夫に代わり、また勝太郎と三島に徳山璉を加える事になったのですが、何たる事か此の話を聞きつけた競合レーベル各社は同名異曲の「さくら音頭」を企画し、一斉に発売すると云う前代未聞のセールス合戦が展開されたのです🌸。
コロムビア盤の「さくら音頭」は松竹とタッグを組み、作詞は大正時代から活躍していた作家の伊庭孝が担当し、お馴染みの佐々紅華が作曲しました。裏面は人気の芸者歌手の赤坂小梅と松竹少女歌劇合唱団が吹き込み、メインの面を柳橋の綺麗所の富勇と歌丸が歌いました。此の二人は姉妹であり、北海道から上京して柳橋の検番で左褄を取っていたのですが、折からの芸者歌手の需要の高まりからコロムビアにスカウトされた新人でした。スローテンポの陰旋法で書かれており全四番構成、やや重い感じで上品さが溢れるサウンドですが、気軽さと云うか馴染み易さに欠けたのか、大々的に宣伝した割には今一つの評価で終わってしまった感が否めません。結果的にビクターの「さくら音頭」が予想通り大ヒットしたので、コロ盤も含めて他社のバージョンも殆ど埋もれる結果となりました🥲。