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皇軍の歌 (陸軍戸山学校軍楽隊)。

辻順治指揮、陸軍戸山学校軍楽隊による歌唱・伴奏の「皇軍の歌」。徳富蘇峰並びに佐佐木信綱共同作詞、東京音楽学校作曲です。満州事変及び上海事変での戦闘が有利に進み、そして満州國樹立が叶った昭和7年は、大日本帝国にとって絶頂期中の絶頂期たる一年でした。そしてその主役たる帝国陸軍もまた、良きにつけ悪きにつけ其の名前を世界中に轟かせます。何よりも此の年は明治天皇により「軍人勅諭」は下賜されて50年と云う節目でしたし、同時に多くの陸軍軍歌が各レーベルから発売。特にポリドールは積極的であり、中でも「爆弾三勇士の歌」は各社の同曲を大きく引き離して大ヒットし、後々まで歌い継がれた程です。さて其の軍人勅諭下賜を記念して制作された内の一曲が「皇軍の歌」でして、外部の人々によって書かれた為か、従来の陸軍軍歌とは違う趣きでした🎼。

佐佐木信綱は学者であると同時に詩人としても活躍し、明治時代には軍歌「あなうれし」「勇敢なる水兵」を作詞。また徳富蘇峰は思想家、ジャーナリストとしても有名であり、弟は小説家の徳富蘆花でした。その文壇の大御所二人の共作した歌詞は三番から成り、作曲は東京音楽学校(恐らくは船橋栄吉などの音校教授の誰か)が担当しました。陽旋法の溌剌した気品あるメロディで、短い前奏の後で一気にラストまで歌って短い後奏で終わると云う何処か味気ない編曲ですが、これは権威性のある曲故に極力歌詞を端折らないと云う方針もあったと思われ、当時のSP盤の収録時間を考えたら致し方ない事でした。皇軍の熱い使命と未来への期待を込めた歌で、此の時期の合唱隊員の中には、数年後に声楽家として活躍する朝鮮出身の金永吉楽士=永田絃二郎も在籍していたそうです🎙。


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