第七師団行進曲 (陸軍戸山学校軍楽隊)。
伊藤隆一指揮、陸軍戸山学校軍楽隊による歌唱・伴奏・作曲の「第七師団行進曲」。宮北繁の作詞で、この陸軍第七師団とは北海道の防衛を担当し、終戦まで旭川に本部を置いておりました。時は明治時代、開拓も兼ねていた屯田兵達を母体として明治29年に編成され、4個連隊を配下に収めて北の守りを盤石なものとします。当時は北のロシアの脅威もあり、七師団は全道民達から頼もしい存在であり続けて「北鎮師団」と呼ばれたのです。明治37年の日露戦争には勿論出動し、旅順や奉天の合戦に参加。その後は何度か満州駐箚を行い、シベリヤ出兵、ノモンハン事件と戦歴を重ねて、本来仮想敵としていたロシア及びソ連軍相手に戦い続けました。太平洋戦争中は隷下部隊を南方に派遣したものの、師団本部はそのまま北海道の守備を担当。そして終戦を迎えてその歴史を終えました💬。
さて「第七師団行進曲」は、旭川新聞社公募による愛国歌として制作され、一位入選の宮北繁の歌詞が採用されて陸軍軍楽隊(のメンバーの誰か)が作曲しています。宮北は北海道開拓の歴史やアイヌ文化の研究者であり、此の歌では第七師団の使命や歴史を歌っております。五七五の定型詩で、全三番構成。当時の陸軍軍歌らしく間奏を挟まずに最後まで歌い切るスタイルでした。メロディは至って明るくシンプルなもので、長めの前奏のあとワンコーラス分の空伴奏を経て歌に入ります。当時の陸軍軍歌全てに言えるのですが、技巧を尽くした作りでない辺りに、より多くの人々に曲を広めて歌ってほしいという、制作サイドの思いを感じる次第です。裏面は同じく公募当選した小池栄寿の歌詞に作曲した「北鎮精鋭凱旋歌」が組まれており、レコードは昭和8年初夏に発売されています😀。