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アッツ島血戦勇士顕彰國民歌 (伊藤武雄・伊藤久男・波平暁男)。

昭和18年1月、半年近くに及んだガダルカナル島攻防戦は、増強される米軍に押されて日本軍は撤退を開始。これは『転進』と云う言葉で世間に公表されましたが、どう見ても其れは敗北でありました。続く「イ号作戦」では、航空戦力を動員して連合軍の複数の拠点に大規模な空襲を仕掛けるも思った程の打撃を与える事は叶わず、消耗は増えるばかりでした。そして米軍は遂に本格的反攻へと移るのですが、其の第一歩として選んだのがアリューシャン列島西部に位置するアッツ・キスカ両島の奪還でした。此処の戦略的価値は低いのですが、それでもアメリカ本土には間違いはなく、此処を日本軍に占領されたままでは國民への示しも付きません。5月に行われたアッツ島攻防戦は、日本軍は無補給で戦い敢えなく全滅。そして此の時に生まれた言葉こそ全滅を意味する『玉砕』でした🔥。

早速朝日新聞はアッツ島に斃れた皇軍将兵らへの追悼歌歌詞の公募を企画し、多く寄せられた中から伊丹市の教師裏巽久信の作品が採用され、大御所の山田耕筰が作曲しました。全六番の歌詞に荘厳かつ叩き付ける様な旋律が付けられ、同年7月17日に日比谷公会堂で発表されて其の歌声は全国にラジオ中継されています。レコード吹込は少し前に行われており、傷痍軍人でもある声楽家の伊藤武雄、戦時歌謡を得意とする伊藤久男、そしてポリドールから移籍したばかりの波平暁男の三人が録音。間奏抜きで一気にラストまで合唱とソロを繰り返して歌われますが、悲壮感みなぎる歌詞とメロディには重苦しさしかありませんでした。裏面には童謡バージョンとも云うべき「顕彰少國民歌」が組まれ、山本昌子と児童合唱団が歌いました。レコードは昭和18年秋に発売されています😀。

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