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好いてゐたのに (上原敏)。

上原敏の歌う「好いてゐたのに」。渋谷白涙作詞作曲で、人気歌手として売り出した敏さんの数々のナンバーの中でも、忘れがたいナンバーです。昭和11年に新橋喜代三と歌った「月見踊り」でデビューした上原敏は、音楽学校卒の洋楽系歌手とは一線を画す歌い方で人気を得た最初の世代の一人。当時、小野巡や音丸など市井で暮らしていた人々の中からレコード界入りする歌手が次々と現れていたので、上原もその流れで発掘されたのでした。勤務先だった“わかもと製薬”の野球部に所属していた時に、作曲家秩父重剛の知遇をえたのは幸いでした。上原自身は当初あまり乗り気ではなく、レーベルの扱いも大きくはなかったのですが、新曲毎にその飾らない朴訥な歌声が受けて、デビューして一年後には「妻恋道中」や「流転」が売れて、東海林太郎と並ぶ看板歌手となるのでした🎼。

「好いてゐたのに」は、純朴な青年の気持ちを歌った、長閑ながらも寂し気なメロディであり、好きと言えないままに意中の女性が嫁いで行く様を、そっと陰から見守って送る光景とその心情が歌われます。三番構成で、上原の飾らない諦めとやるせなさが同居した歌声で、今と変わらない片思いの切なさを語っておりました。作者の渋谷白涙は元々は演歌師であり、大正時代は「ハートソング」「あきらめ節」などで人気を博し、昭和一桁の頃はポリドールで楽曲を発表しております。東海林太郎を最初に認めた一人でもあり、また“堀とおる”と云う変名でも新曲も多く手掛けました。レコードの発売は昭和12年夏ですが、日華事変が影響したのか地味な作風故に大きなアピールも出来ずに埋もれたのは、とても残念でなりません。裏面は山中みゆきの「憎いわね」が組まれております😀。

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