港離れて。
大川静夫の歌う「港離れて」。島田磐也作詞、江口夜詩作曲で、ラベルには“映画主題歌&宝塚映画”と記載してあるが、如何なる物語の主題歌なのかは不明である。この宝塚映画とは、昭和7年秋に設立されたばかりの「宝塚キネマ興業株式会社」と思われ、赤字続きながらも昭和9年春に解散するまで銀幕に作品を提供していた。その名が示す通り宝塚少女歌劇団と関係があり、実際に小林一三が筆頭株主だった。解散して数年後に再び宝塚映画が復活するが、それは別の話。さて発売した日東蓄音機は大正時代より続く関西の名門であったが、昭和一桁後半ともなるとビクター等の外資系レーベルの台頭により其の勢力は徐々に衰えて行く。その日東を支えていたのが江口夜詩であり、昭和7〜8年当時の同社流行歌は殆ど彼が支えていた。そこへデビューしたのが、まだ21歳の大川静夫青年だ。
「港離れて」は、大川が日東レコードに残した20曲中15曲目の新譜であり、そして代表曲だ。前奏に流れて来る鋭角で弾ける様なバンジョーの乾いた音色は、何処となく潮の香りを思わせているし、ビブラホンの音は船灯と言ったところか。バンドは海原へと旅立つ船員の船路を賑やかに奏で、最初の間奏のアルトサックスは港の酒場の喧騒の様。大川の歌声はスカッとしているとは言えないが、伸び伸びと心地よい喉を聴かせる。後半の間奏に現れるスーザフォンは海原を表していて、つくづく江口夜詩の編曲構成力と楽器の使い方の巧みさに脱帽するしかないではないか。大川静夫は明治44年6月佐賀県生まれ。藤山一郎の紹介で昭和7年夏に「夏は朗らか」でデビューし、続いてポリドールでは池上利夫名義の「忘られぬ花」が大ヒット。コロムビアに移り、松平晃と名乗るのである。