松岡さんのこと
松岡正剛。
編集工学研究所(以下、編工研)の所長にして、ISIS(イシス)編集学校校長。
ふるくは、オブジェ・マガジン『遊』で知ったという方もあるだろう。
その松岡氏が、先日、亡くなった。
前回、ガンの知らせのあった折には、ちょうど自分が編集学校絡みで、当時は赤坂にあった編工研事務所にも折々足を運んでいたこともあり、その病の話は耳にしてはいたのだが。今回は、しばらく編集学校ともご縁が遠のいていたこともあり、急な訃報を、編集学校関係のメールで知った。
ひとはもちろん、いつか亡くなる。しかし。
正直、驚いたのだ。これほどにショックを受けている、自分に。
ちょっと唐突だが、「父」というものを考えてしまった。
振り返ると、私が「父」的なものとして思う人は……
まず、歳なりに、ではありながら、元気でいる生父。
そして転職を経て就いた、現在の仕事の舞台である龍生派の3代家元、故・吉村華泉(この方のすごさについては、いずれ本当にじっくりと書かねばならない、とは思っています)。
そして、亡くなって気づいたのだが、松岡正剛氏が、自分の中で、そこに大きな位置を占めていたのだ。
その松岡氏から、一度、「うちに来ないか」と声をかけていただいたことがあり。
(補記:編集工学研究所に籍を置く、ということ)
(その前後の詳細を書こうと思ってあれこれしていたのだが、結局、まずはシンプルにいこう、と。近日補記するかも、しないかも)
そうか、「この私」という存在にも、価値がありそうだと感じてくれる方があるんだ、と。
そうして声をかけていただいたことは、自分が何かを判断する折、さらには他者との関わりの中で何かを決断する折、と、ことごとに、自分の選択の背中を押してくれていた。「おれは、やれるはずだ」と(<妄想含む。笑)。
……さて。ちょっと論理飛躍、なんだけど。
その言葉のありがたさを反芻してみるならば。
「今、そのおまえは、価値がある」、そう言ってくれる人があった、ということのありがたさ、なのだと思う。
編集学校関係の当時の役割において、それはもう、とてつもないエナジー量を投入して尽力していた自分ではあったが、その「頑張りの量」自体ではなく、「頑張りの量」越しに見えた「私」というものが、価値がある、そう思ってもらえたような気がしたのだ。(また妄想。笑)
だから、
「今、そうして頑張ろうと思っているおまえは、価値がある」、そう言ってもらえた気がした
……そう言いかえられるのかもしれない。
ーーー
今振り返ると、正直、松岡さんとその周辺に関しては、「松岡さん大好き」な方々が多数おられて、ちょっとそういう感じとは距離を置きたい、と思ったりもしていて。
それがゆえに、松岡さんの懐にダイブしようとしないでいた自分があった、ということに、今更ながら気づき。
ま、「父」というのは、そういうものなのかもしれないな、と、後悔しながら思っているのです。