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コルベール:フランス絶対王政の財務総監
コルベールはフランスの政治家(1619ー1683)。フランス国王ルイ14世が絶対王政を確立するのを経済面で支えた。フランス文化の発展や情報管理システムの構築でも寄与した。
コルベールの生涯と功績を知ることで、ルイ14世のフランス絶対王政の根幹部分を理解することができる。
コルベール(Jean-Baptiste Colbert)の生涯
ジャン・バプテスト・コルベールはフランス北部のランスで裕福な毛織物商の家庭に生まれた。だが、商人を志さず、様々な公職についた。
1648年、フランスではフロンドの乱が生じた。これは王権にたいして議会や貴族の一部が起こした反乱である。
当時、実権を握っていたのは宰相マザランだった。マザランはパリを離れざるをえず、地方を転々とした。コルベールはマザランの信頼を勝ち取るようになった。
1651年、コルベールはパリでマザランの代わりに政治を仕切った。1653年、フロンドの乱が沈静化した。
マザランは政務を再開した時に、コルベールを特に引き立てた。1661年、マザランは没する際に、国王ルイ14世にコルベールの重用を進言した。
財務総監へ
1661年から、ルイ14世が自ら統治を行うようになった。コルベールはその統治下で、重臣として用いられた。
ルイ14世の時代はフランス絶対王政の確立期として知られる。コルベールはこれを主に財政面で支えた。
1661年の時点では、フランスの財政は厳しい状況にあった。コルベールは財務官として、支出の無駄を大幅に削減するなどして、その改善に取り組んだ。1665年には、財務総監に任命された。
コルベールは重商主義政策をとった。フランスを当時の大国オランダのような海洋帝国に育て上げようとした。海洋貿易が大きな利益をうんでいたからである。
その背景としては、16世紀に本格化する大航海時代が挙げられる。16世紀には、スペインとポルトガルがアメリカやアフリカ、アジアで広大な帝国を構築し、海外貿易を本格化させた。日本でも南蛮貿易を行った。
17世紀前半、オランダがようやく同様の試みに成功していった。コルベールはフランスにも同じ道を進ませようとした。
そこでは、重商主義政策を展開した。すなわち、一方で、貿易での輸出額の増大によって利益を増大させる。他方で、輸入には、保護関税をかけるなどして輸入額を削ることで、支出を減らす。そうすることで、王権の財政を改善しようとした。
主な輸出品は、毛織物や、ゴブラン織などの奢侈品、ガラス製品などであった。
コルベールはフランスの海外植民地政策の再編に取り組んだ。その背景として、17世紀前半、当時の大国オランダが東インド会社を設立し、東アジア貿易に成功した。
この時期のフランスの宰相リシュリューはオランダの成功を模倣すべく、同様の会社を王権主導で設立させた。だが、この会社はオランダなどとの競争に勝てず、困難な時期が続いていた。
そこで、1664年、コルベールは東インド会社を再編した。同時に、コルベールは海軍の増強をはかった。フランスの海洋進出によって他国との戦闘も予想されたためである。
戦争と財政政策
上述のコルベールの財政改革などにより、1671年までにはフランスの国家財政は大きく改善し、国家の収入は2倍になった。
だが、上述の輸入品への保護関税やフランスの海外貿易への本格的な参入により、1672年からフランスとオランダで戦争が始まった。これは1678年、フランスの勝利で終わった。
しかし、戦費が国家財政を逼迫させた。コルベールは財政を回復させようとしたが、うまくいかなかった。
様々な原因が指摘されている。たとえば、特定の業者への国家の支援策は民間からしばしば強い反発をうけた。
1680年、コルベールはルイ14世にたいし、財政が逼迫しており、その回復の適切な手段がないことを報告した。そのため、ルイの信頼を失うことになった。影響力を失う中で、1683年に没した。
コルベールの政策がどれほど成功したかについては、議論が割れている。
文化政策
この時代のフランスは文化の面でも発展がみられた。コルベールはこの発展にも寄与した。
たとえば、コルベールは文芸や学問の発展のために、様々なアカデミーの設立を促進した。1663年の、文芸アカデミー、1666年には科学アカデミーなどである。
情報システムの構築
コルベールは、国家の統治全般に関わる別の面での重要な貢献も行った。コルベールは国家を統治するために、優れた情報管理システムを構築したのである。
彼は1654年から死ぬまでの30年間に、図書や公文書の半公共的な王室コレクションと、自分自身の私設図書館を建設した。
そこには、古典古代の作品や聖書、中世の写本、稀少本、版画、科学書などが収集された。伝統的な人文主義的図書館でありながら、統治の実務に関する国家と産業のアーカイブでもあった。
これらの本や資料が一つの施設で一つの目録のもとに置かれた。というのも、コルベールはすべての知識が統治において実用的な価値があると考えていたからである。コルベールはそれらの多様で膨大な情報を管理し、政策決定で利用できるようにし、実際に利用した。
※この記事の内容は基本編です。発展編の記事は、私のウェブサイトにて、全文を無料で読むことができます。
発展編では、コルベールの生涯と功績をより詳しく説明しています。特に、コルベールがいかにして情報を管理し、経済政策などで役立てたかがわかります。
この記事に興味をもたれた方は、気軽にお立ち寄りください。
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深草正博『一七世紀の危機とフランス経済史』現代図書 , 2021
Jacob Soll, The information master : Jean-Baptiste Colbert's secret state intelligence system, The University of Michigan press, 2011
Daniel Dessert, Le royaume de monsieur Colbert, 1661-1683, Perrin, 2007
Glenn J. Ames, Colbert, mercantilism, and the French quest for Asian trade, Northern Illinois University Press, 1996
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