アントワーヌ・ヴァトー
ヴァトーは18世紀前半のフランスの画家(1684ー1721)。ブーシェと同様に、フランスのロココ時代の代表的人物として知られる。若くしてパリに出て、舞台装飾などに影響を受けた。ルーベンスやティツィアーノなどの影響を受けながら、腕を磨いた。
代表作『シテール島の船出』でアカデミーに受け入れられた。ロココの画家として人気を博した。これからみていくように、雅宴の画家として知られ、今日に至る。
ヴァトー(Antoine Watteau)の生涯
アントワーヌ・ヴァトーはフランスのバランシエンヌで職人の家庭に生まれた。幼少期は文学や音楽を好んだ。その地で画家の道を歩み始めた。
画家としての修行:舞台装飾
1702年、ヴァトーはほぼ無一文でパリに移った。父親の虐待から逃げるような仕方で、パリに出てきたようだ。画家として生計を立てるべく、オランダ絵画や宗教画などの複写などを行った。
1703年から、ヴァトーは画家クロード・ジローに師事した。ジローはオペラやイタリア喜劇の舞台装飾を担当していた。ヴァトーはそれらの演劇舞台を観察することで、華やかに着飾った役者や舞台装飾などに影響を受けることになる。
1708年、ヴァトーはクロード・オードランの助手となった。オードランはリュクサンブール宮で美術品を管理していた。この時期に、ヴァトーはベルギーの画家ルーベンスの『 マリー・ド・メディシスの生涯』などに感銘を受けた。また、ダ・ヴィンチなどの絵画にもふれて学んだ。
ヴァトーは第2回のローマ賞を獲得した。ローマ賞はフランスの若手の画家をローマに公費で美術留学させるという特典がついていた。だが、ヴァトーはイタリアに留学しなかった。
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大野芳材『17〜18世紀 : バロックからロココへ、華麗なる展開』中央公論新社, 2016