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イサベル1世:スペインの新たな時代へ

 イサベル1世はスペインの女王(1451ー1504)。 スペインの黄金時代の基礎を築いたことで知られる。
 スペインは16世紀に黄金時代を迎える。フランスやイギリスを凌ぐようなヨーロッパの列強国となり、フィリピンやメキシコにも領土をもつ「日の沈まぬ帝国」となる。

イサベル1世(Isabel I de Castilla)の生涯


 イサベルはカスティーリャ国王フアン2世の娘として生まれた。当時、イベリア半島の大部分を占めるようなスペインと呼べるような単一の国は形成されていなかった。
 そのかわりに、イベリア半島にはカスティーリャやアラゴンのような王国が存在していた。フアン2世の死後、異母兄のエンリケ4世がカスティーリャ王に即位した。

 イサベルは当初、将来女王に即位すると期待されていなかった。敬虔な少女として育った。

フェルディナントと結婚

 イサベルはカスティーリャの王位継承権を持っていたので、政略結婚を望む者が多かった。様々な候補者の名が挙がった。
 そのような中で、イザベルはアラゴンの王子フェルナンドの名前を第一に挙げていた。だが、カスティーリャにたいするアラゴンの影響力の増大を恐れた貴族たちによって、当初は反対された。
 1469年、フェルディナンドとひそかに結婚した。この結婚への反対に対処するために、ローマ教皇庁の支援を求めた。

 女王へ

 1474年、エンリケ4世が没した。イサベルはカスティーリャ女王への即位を宣言した。だが、これへの反乱が生じた。1480年頃に、ようやく反乱を鎮定できた。
 1479年に夫がアラゴン王フェルディナンド2世に即位した。よって、アラゴンとカスティーリャが結合し、スペインと呼ばれるような国が形成された。

 イサベルの治世で行われたこととして、主に三点挙げられる。レコンキスタやユダヤ人追放、アメリカ発見である。

 レコンキスタの完遂落

 イサベルの治世の特徴として、まずレコンキスタの完了が挙げられる。レコンキスタは8世紀から始まった。
 これは、それまでにイベリア半島に進出していたイスラム勢力を追い返そうとするキリスト教徒の再征服運動である。13世紀には大きく進展した。だが、スペイン南部のグラナダがイスラム支配地として残った。

 イサベルとフェルディナントはグラナダ攻略のために、近くのコルドバに居を移した。攻略を続け、ついに、グラナダを1492年の初頭に陥落させた。かくして、レコンキスタが完了された。

 ユダヤ教徒の追放
 

 イサベルたちは国内の宗教問題に着手した。当時のスペインに住んでいたユダヤ教徒とイスラム教徒が問題となった。

 この点でイサベルにかんして悪名高いのは、キリスト教に改宗したユダヤ人やイスラム教徒の追放である。ここでは、前者についてみていこう。

 背景として、中世のスペインでは、ユダヤ教やイスラム教とキリスト教の共存が図られた時期もあった。ユダヤ人はいずれキリスト教徒に改宗するだろうと楽観的に考えられ、この意味で潜在的なキリスト教徒とみなされた。
 だが、14世紀には、社会環境の悪化に伴い、ユダヤ人のイメージが悪化していった。15世紀なかばには、ユダヤ人の追放や異端審問所の設立を求める動きが強まっていった。特に、ユダヤ人がキリスト教徒に偽装改宗するケースが問題視された。
 1480年、スペインにイサベルは異端審問所を導入した。スペイン全体に共通する制度がほとんど存在しなかったこの時代において、異端審問所は異端対策という口実で王権を伸長する手段として機能していく。
 1492年、イサベルはついにユダヤ人にたいして、4ヶ月以内のキリスト教への改宗か追放の二択を迫った。10万人ほどのユダヤ人がスペインを離れ、ポルトガルやオスマン帝国へと逃れた。


 コロンブスの新世界「発見」

 イサベルの他の重要な点として、コロンブスのインド航海への公的支援が挙げられる。コロンブスは香辛料などを求めてインド航海事業をイサベルとフェルディナントに提案した。
 紆余曲折を経て、レコンキスタの完了後、1492年、スペイン王権はコロンブスの提案を受け入れ、彼に様々な権限と資金を提供した。
 同年、コロンブスはスペインを出発した。だがインドではなくアメリカに到達した。その結果、中南米でのスペイン帝国の礎が築かれていく。

 コロンブスによる成功を受けて、スペイン人たちが立身出世や金銀財宝を求めてアメリカへと大量に押し寄せるようになる。

 イサベルの死

 イサベルとフェルディナンドはレコンキスタや宗教政策などにより、教皇アレクサンデル6世から、「カトリック両王」の称号を得ることになった。1504年、イサベルは後継者問題に頭を悩ませながら、没した。

 死の直前、イサベルはフェルディナントのことを「スペインの最高の王」と呼んだそうである。それほどフェルディナントと深く結びついた生涯だった。

レコンキスタからアメリカの征服へ:グラナダのアルハンブラ宮殿

 上述のように、グラナダはレコンキスタの最後の都市である。イスラム王権が居城としていたアルハンブラ宮殿が有名であり、現在では人気の観光スポットになっている。宮殿の建築や庭園などでアラビア芸術を鑑賞することができる。

 また、アルハンブラ宮殿はイサベルたちがコロンブスの航海事業に承認を与えた場所でもあった。イサベルたちがグラナダを陥落させた後、アルハンブラ宮殿に居を移した。
 そのタイミングで、コロンブスが宮殿を訪れ、再び航海事業を彼らに提案したという流れだ。よって、アルハンブラ宮殿はスペインがイベリア半島の再征服からアメリカの征服へと切り替えた画期的な場所だったともいえる。スペインはカルロス1世の時代に世界帝国へと躍進していく。

現在のアルハンブラ宮殿





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おすすめ参考文献

立石博高編『スペイン・ポルトガル史』山川出版社, 2022


Barbara F. Weissberger, Queen Isabel I of Castile : power, patronage, persona, Tamesis, 2008

Peggy K. Liss, Isabel the Queen : life and times, University of Pennsylvania Press, 2004

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歴史と物語
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