前8世紀におけるギリシア文化伝搬の歴史的背景
問題
難易度: ★★★★☆
ギリシア人のオリエントとの交流は,紀元前8世紀にはいるといちだんと盛んになっていった。他方で,南イタリア,ナポリ湾の小島で出土した陶製杯には,ホメロスの叙事詩にちなむ韻文がギリシア文字で書かれていた。杯の製作年代は前8世紀後半で,文字も同時期に刻まれたものらしい。
杯がこの島で用いられるにいたった歴史的背景を,下線部に注意しながら150字以内で記せ。
配点: 8点 東京大学(1997)より引用
※ 下線部分は,noteの制限上太字表記としております
採点基準
① 植民市活動を行なう必要性について説明していること
・人口増加に触れていれば +1点
・土地不足に触れていれば +1点
・食料(穀物)不足に触れていれば +1点
② 同じ文化を共有している点について触れていること
・植民市に住んだのは同じギリシア人であることに触れていれば +2点
・ギリシア文化の具体例を示していれば 最大で+1点
③ その他
・上記以外の説明は加点対象外とします
・史実と異なった事項を記述している場合は、都度 -1点
解説
長々とした問題文ですが、聞かれていることは「なぜギリシアポリスから離れたイタリアの地にギリシア文化を示す遺跡物があるのか」ですね。留意しておきたいのは、その杯にホメロスの叙事詩にちなむ韻文が書かれていたよ、ということに加え、「ホメロスの叙事詩」に下線部(このページでは太字)が施されていること。しっかりと文化的な要素を含んだ解答にしてくださいね、ということですね。
ポリスが形成されると何が起きたのか
教科書的な説明から入ると、ポリスが形成されたのは紀元前8世紀ごろ。同時代、すでに植民市開発が行われていたことがこの問題文からもわかります。それにしても海外展開を行なうにはあまりにも早すぎないでしょうか。しかし、順を追って考えてみると海外展開は必然だったと思えます。まず前提として、ポリスが形成され生活が安定すると何が起きるでしょうか。人々は外敵に襲われる心配もなく移住するリスクを抱える必要がなくなるので、安心して子どもを生むことが可能になります。その結果、ポリス内あるいは周辺で人口増加がおきます。
ギリシアが早くから植民市開発を行なった理由
この前提を背景に、植民市開発が行われるのですが、丁寧に紐解いていきましょう。植民市開発が実施された理由は3つあります。
1. バルカン半島(特にアッティカ地方・ペロポネソス半島)には生活に適した場所が少なく、人口増加に耐えられる土地が少なかった
2. 同様に山岳地帯で平地が少なく、穀物が育ちにくく、人口増加を支えられるほどの資源が少なかった
3. ポリスが安定すると貴族同士の政治的衝突が生まれ、彼らの不和を晴らすため、海外展開に意識が向けられた
結果として、アテネ関連のポリスからネアポリス・マッサリア・シラクサなどの植民市が生まれ、スパルタ関連ではタレントゥムが生まれました。また、これは受験レベルを超える話ではあるのですが、土地不足・食糧不足よりも理由3の貴族間の政治的衝突が植民市開発の機運を高めたと解釈するのが今は主流のようです(このことは解答に反映しなくても問題ありません)。
近代以降の植民地活動とギリシアの植民市活動の大きな違い
実は近代以降の植民地活動とギリシアの植民市活動の大きな違いがあります。それは「ギリシア人は植民市開発を地中海世界のいたるところで繰り広げるが、その地域の先住民を支配するのではなく、その地に自分たち同族が暮らす村を作った」ということですね。なので建設された植民市にはギリシア人が住んでいたわけです。このことが問題文にある「植民市の人々もホメロスの叙事詩『イリアス』などの文化を共有し,ヘレネスとしての同胞意識をもった。」という一文の理解を容易にさせます。遠く離れて暮らしていても同じギリシア人なのですから、同じ文化・思想を持つのは当然ですね。
解答例
ポリスが形成され生活が安定すると人口が増加した。その結果が土地不足・食糧不足を招き、その課題を解消すべく植民市活動を行い、タレントゥム・ネアポリスなどの植民市が生まれた。植民市に住んだ人々は母市から移住した同じギリシア人だったので、ホメロスの叙事詩などにみられるギリシア文化を共有、同族意識をもった。(150)