前期・後期ヴェーダ時代の違い

問題

難易度: ★★★★☆
紀元前12世紀から前6世紀頃までの,ウェーダが編纂された時期をウェーダ時代と呼び,バラモン教が成立した時期とする見方がある。このヴェーダ時代は,前1000年ごろを期に前期・後期に分けられる。このヴェーダ時代について,60字以内で説明せよ。

配点: 4点 オリジナル(2020)

採点基準

前期・後期の両ヴェーダ時代はどのような特徴を持ち、何が起きたのかを記述できれば完璧です。バラモン教が少しずつ輪郭を整える様子をこの問題で捉えていきましょう!

①前期ヴェーダ時代
・『リグ=ヴェーダ』が編纂されたことに触れていたら +1点
・自然崇拝あるいは多神教であったことに触れていたら +1点

②後期ヴェーダ時代

・ヴァルナ制が形成されたことに触れていたら +1点
・ウパニシャッド哲学が生まれたことに触れていたら +1点

解説

バラモン教が成立する時期のヴェーダ時代について取り扱った問題です。教科書にはさらっとしか書かれていないですが、資料集や用語集には詳細が載っているパターンの問題です。古代インド社会の形成過程や構造を把握していないと、点数にならないものですので、この期に勉強していきましょう。

①前1500年〜前1000年までのアーリア社会

前1500年ころ、アーリア人はカイバル峠を超えてパンジャーブ地方に侵入したとされています。彼らは遊牧民族に近い生活をしていたため、各地を転々としていました。そのため、少数隊を形成し、部族制の社会となっていました。この時代、彼らは彼ら自身の宗教を形成します。このときの宗教は自然崇拝の色が濃く、その代表例が雷を神格化したインドラです。他にも天・地・火などの様々な自然現象や自然そのものを神としていました。祭儀ではこれら神々を祀るため、讃歌が読まれ、その讃歌をまとめたものがヴェーダになります。このヴェーダの中でも最も最初期のものが『リグ=ヴェーダ』になります。

②前1000〜前500年までのアーリア社会

前1000年ごろ、以前と同じ様に別のアーリア人が北インドに侵入してきました(第2波)。このとき侵入してきたアーリア人は鉄の技術を保有しており、その技術はまたたく間に北インドに広まりました。そして彼らはパンジャーブ地方からガンジス川中流に移動し、先住民を支配していきました。先住民の農業に鉄技術を融合させ、農業生産性を高め、農作物の収穫を増幅させました。すると必然と人口増加が起こり、都市が形成され、社会が複雑化していきました。このアーリア人と先住民(ドラヴィダ系)の社会が結合し、かつ社会構造が複雑化した時代に、バラモン教は確立しました。人々をランクづけるためにヴァルナ制をつくり、もともとの王族をクシャトリア、宗教的儀礼を受け持つ層としてバラモンを、それ以外のアーリア人をヴァイシャとし、先住民をシュードラと位置づけました。さらにバラモン層はクシャトリアよりも上の地位に位置したいがために祭礼儀式を複雑化し、クシャトリアが真似できないようなものにしていきました。その批判として、前6世紀にウパニシャッド哲学が叫ばれ、他新宗教が成立したのですね。

解答例

前期には『リグ=ヴェーダ』が編纂され、自然崇拝を中心とした。後期にはヴァルナ制が生まれ、ウパニシャッド哲学が完成した。(59)

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