「偉人」の見方
私は滅多に歴史上の人物を尊敬しない。
興味を掻き立てられる人物なら洋の東西問わず大勢いるが、「尊敬に値する」と思える人物はあまり存在しない。
それというのも、私が大学で歴史学を専攻したからだ。
学問として歴史を研究する以上は、どんな偉人であっても、微に入り細に穿って、その行状を検討しなければならない。
すると嫌でも目にしたくもないものを目の当たりにすることになるのである。
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江戸期の政治家に、松平定信という人がいる。
かつては民衆思いの為政者としてずいぶん持ち上げられたようだが、歴史研究の進歩はその評価を一変させた。
寛政の改革(1787-1793)で、彼は浮浪者のための職業訓練所「人足寄場」を設けた。
一見すると、福祉政策の先駆けとも言える政策だが、その実態は悲惨極まりないものだった。
というのも、浮浪者がここに押し込められたが最後、死ぬまで凄惨なしごきを受け続けることになっていたからである。
定信自身は後にこう語っている。
酷い「御仁政」もあったものだが、権力者の考えることなど、しょせんはこんなものにしか過ぎない。
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私は歴史上の人物を、当時の民衆の視点から眺めることをモットーにしている。
私のように世渡りが下手な人間、そして私よりも更に苦しい生活を強いられている人々、社会から見捨てられかけている人々に対して、心からの温かい気遣いを示せる人が私にとっての「偉人」であり、そうでない人は問答無用で軽蔑する癖がついてしまったのである。
これが少し乱暴な論理のようだが、意外としっかりした人物評価の基準であることに気付いたのは、本格的に歴史学を学び始めてからしばらく後のことであった。
しょせん歴史とは、権力者にとって都合のいいように書かれた記録の集成にしかすぎない。
それを何の批判精神も持たずに読めば、往年の権力者たちの主張をそのまま鵜呑みにすることになる。
それでは歴史の真の姿は見えてこない。
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ごくたまに、『三国志』ファンだという人と話す機会がある。
彼らは好きな武将の魅力やうんちくを、実に楽しそうに話す。
それだけなら別に罪はないのだが、私のようなひねくれ者はついなにか言ってやりたくなる。
三国時代を生きたのは何も武将だけではない。中原を舞台に華やかな戦が繰り広げられた一方で、庶民は塗炭の苦しみを味わっていたのだ。
そのことは、詩人王粲の「七哀詩」を見ても明らかである。戦乱の世における庶民の哀しみを、かくも切々と詠い上げた詩を、私は他に知らない。
白骨の転がる荒野に、我が子を捨てる母の嘆きなどはその最たるものだろう。
——私だってどこで野垂れ死ぬか知れない身、どうしてあなたと二人、この戦乱の世を生き抜くことができましょう…。
この詩を知ってからというもの、私は劉備も曹操も、関羽も張飛も尊敬しなくなった。ひとり諸葛亮のみは、「出師表」に示された人間味を以て未だに敬愛しているが、他に尊敬に値する人物はほとんどいなくなってしまった。
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世に「英雄」と称される人々の真の功績を考えるとき、私は暗澹たる思いにとらわれる。
結局、彼らの「功績」のしわ寄せを負うのは庶民ではないのか。
ナポレオンが「余の生涯は何というロマンであったか」と言ったとき、果たして彼の心中には、幾多の戦役で涙を呑んで死んでいった将兵を思いやる気持ちが、ほんの少しでも存在しただろうか。
天安門の楼上で、文化大革命の「成功」を祝った毛沢東には、その陰で未だ飢えに苦しむ人民のいることが分かっていただろうか。
カエサルには?信長には…?
——数え上げてゆけば切りがない。
だが、少なくともこれで、私が史上の人物を滅多に尊敬しない理由の一端を示せたのではないだろうか。
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ある人が「戦史」を皮肉って、こう書いているのを見たことがある。
戦史に限らず、歴史書を読む時、私たちは知らず知らずのうちに、権力者の気持ちになってこれを読んでいないだろうか。
そうだとしたら、それは一面でしか歴史を捉えていないことになる。
「民衆の側から歴史を見る」というのは、マルクス主義史観が隆盛を極めた半世紀ほど前まではよく使われた文句で、ことによると月並みに聞こえる人もあるかもしれない。
しかしだからといって、その精神まで否定するのは間違っている。
歴史を造る原動力は常に民衆の側にある。どんなに痛めつけられても、力強く立ち上がる民衆の側に…。
そのことをどうか忘れないでいただきたい。
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