P-MODEL『Potpourri』(1981)
アルバム情報
アーティスト: P-MODEL
リリース日: 1981/3/25
レーベル: ワーナー(日本)
今回の選者は和田醉象です。
メンバーの感想
和田醉象(選考理由)
ロックは恥ずかしい。
今回は、事前にこれを書く前に何人かのレビューを事前に確認させてもらいました。(ルール的にはやらない約束なんだけどね)
確認した限りだと、概ね「声やメロディがいけ好かない。ノットフォーミー」「印象にしか残らない。評価が難しい」
そうだと思います。選考理由には「このアルバムが私の人生を変えた」ということを加味していますが、「皆さん嫌がるかもしれない」とも思ってこれ選んでます。
でも一番の理由として、僕の音楽はこれから全て始まっているんです。これを通さないと誰とも芯から話ができないんです。申し訳ない。ちょっと嫌な思いしてもらいました。でもどう感じるかではなく、俺が聴いてほしいので選びました。(ポジティブなレビューは期待してないです)
これを読んでいる人も全員聞いて下さい。
あと、あの、ライブ聞くとすごく印象が変わるバンドでもあるので、これの一曲目の「different≠another」だけでも聴いてください…
The End End
オルガンのフィーチャーされ方が全体的に好み。ハモンド(かどうかは分からないけど、パイプオルガンと比較してハモンド寄りの)系のオルガンって、ドローバーで倍音を足し引きすることで音を作る、つまりは加算合成方式のシンセサイザーなので、そりゃテクノ的なこととの相性は抜群だ。ドラムにかかったリバーブの質感もこれぞポストパンク!という感じで微笑ましい。
でもメロディのクセ含めた歌唱がサッパリ趣味じゃなかったです。ごめんなさい。歌がなかったらもっと楽しく聴けるかな…
追記:
和田さんが"禁じ手である旨に触れた上で"他のレビューを参考にして書いたとおっしゃっているので、私も選者コメントを踏まえて少し。
できれば、"これがないと私は始まらない""分からなくても嫌な気持ちになってもいい"じゃなくて、この作品で人生がなぜ/どのように変わったのか、どんな部分に惹かれているのかを教えてほしかったな…と思っています。
ただ、"分からないと思うけどとにかく聴け!"というその身勝手さみたいなものは、『Potpourri』を聴いて抱いたイメージと一致してもいるから、納得もしています。今度、雑学じゃない範疇での好きなところ、教えてくださいね。
桜子
前和田さんに教えてもらったP-MODELの美術館のアルバムもすごく好きだったけれど、これもすごく好きだった!
最近DEVOとか聴くんですけど、音色の感じとかが、それに近いニューウェーブさを持っているような気がしていて、スッと聴きやすかったです。そこに翳りあるヘンテコさが加わったように思えて、その化学反応が好きになりました。
俊介
既存のロックから抜け出そうとする強い意識は感じるけどあんまりグッとくる瞬間はなかった。
どこが嫌だとかないけど、クールなポイントも感じない。強いていうとアティチュードが苦手。
なんか聴いてて嫌な気持ちになった。特に今晴れてるし。
湘南ギャル
テクノ御三家!だとかニューウェイブ!だとか、聴く前に持っていた先入観をブチ破ってくる作品だった。もちろんそういう要素はあるんだけど、それだけじゃない。泥臭さみたいなのが底にあって、地面に重みを加えているような。ポプリが置いてあるところだけ地盤がちょっと沈んでいる。テクノのロボ感、ニューウェイブのキテレツさ、そういったものを敬遠してる人でも惹かれるものがありそう。間口が広いというよりは、色々な人が持つ各々の好きポイントを抑えているという印象を受ける。とはいえ、P-MODELの印象がこのアルバムだけになるのも違う気がするし、初期の作品にも触れてみようと思う。
しろみけさん
「ジャングルベッド I」のリズムパターンが現代っぽい……とか思っちゃうのは、自分がポストパンク・リバイバル勢の聞きすぎだからだろうか。テクノポップと称される理由の九分九厘は、このチープなシンセのサウンドによるものだろう。もしこのシンセを抜いたら、おそらく東南アジアのファンクみたいになる。YMOの、特に細野晴臣の演出するエキゾな雰囲気を感じるギターのフレーズが多い。テクノというより、後年の平沢ソロに停留しているアジアンテイストのおどろおどろしい熱の存在に気付かされた。
談合坂
2000年代の放課後ティータイム、そして2020年代の‘オタク君大好物’に繋がってくるものとしてP-MODELに触れてきた側の人間なので、80年代の初めにこれがどう映ったかというのを想像するのがなかなか難しい。今なら若さとか重心の高さを見ることができるけど、後の世のことを知らないで出会ったときにここには何を見たのかというのがかなり気になる。
弾いていて気持ちよさそうなギターが好き。確信を持ってこういうフレーズ使いができるプレイヤーになれたらすごく面白いだろうなと思います。
葱
ソーシャル上で「理解できる音楽」「理解できない音楽」みたいな語りが時折起こる。私はその二分法に少し違和感を覚えていて、2つの間には「楽しみ方はわかるけど楽しめない」という感想が存在すると実感している。即ち、頭の中の音楽語彙と照らし合わせれば作品の聴かせ所やルーツ、楽しみ方はなんとなく想像がつくけど身体がついてこないパターンである。P-MODELもTELEVISIONやTalking Headsといったニューヨークのインテリパンク的な捻くれた身体性にボーカルのシュールながら芯を食った雰囲気のおかしなバランスが魅力というのは分かるし、何回かきいて頭から離れていないのだけど、すごいフェイバリットだったかというとそうでもないなと。
みせざき
曲一つ一つに組み込まれるギターフレーズ・ギターソロが素直にカッコよかったです。一曲目のジャングルベッド1のフレーズから良いですね。またP-Modelといえばキーボードのフレーズが強烈に組み込まれる印象でしたが、本アルバムでは意外にも曲一つ一つの装飾としての機能を保っていると感じました。自分の好きなニューウェーブ・ポストパンクの音楽との共通項も感じられたのでP-Modelというバンドの認識を改めることができました。カッコいいと思います。
渡田
いきなり飛び込んでくる支離滅裂な歌詞と、乱暴な演奏とで、真面目に聴けばいいのか、ふざけた音楽として聴けばいいのか分からない。どう捉えていいのか分からない。
基本的な構造はポストパンクに近い気がする。不気味な印象ながらキャッチーなフレーズや、他の楽器のフレーズの下を這うように流れる間延びしたシンセサイザーの音はポストパンクらしいと言えると思う。
ポストパンクを雛形として、そこから聴いていて心地よさを感じる要素を徹底的に削っている気がする。他のポストパンクの曲ではよくある、繰り返される歌詞とか、前の音と滑らかに繋がるメロディとか、そういったリラックスできる要素が排除されている感じがする。どうしてその言葉が出るのか納得できない歌詞とか、それまでのメロディをぶつ切りにするような乱暴なリズムとか、意識せざるを得ない要素を次々に持ち寄られている内に一曲一曲が終わっていく。
次回予告
次回は、渡田の選出アルバムを扱います。
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