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Neil Young『After the Gold Rush』(1970)

アルバム情報

アーティスト:Neil Young
リリース日:1970/9/19
レーベル:Reprise(US)
「『歴代最高のアルバム』500選(2020年版)」における順位は90位でした。

メンバーの感想

The End End

 こんなに魅力的な歌声の方でしたっけ……?柔らかくそれでいて芯のある、とても暖かい声をしている。エレキギターのザラザラした歪みも、地を這うようなベースのサウンドも、クリスピーなドラムのアタックも、耳の良い人が作ったんだなあという感じですごく心地よい。
 "After the Gold Rush"、つまり"熱狂から醒めた後の景色"を見つめる外側からの視点が、時々無軌道に動き回るギターと合わさって"現在を超える"ロックの志向を前編にわたって散りばめている。何回だって聴きたいわ……!

コーメイ

 Neil Youngの声とアルバム全体の緊張感に好感を抱けた。前者は、優しさを帯びていることが多かったけれども、ときどき鋭さを聴き手に与えている。そのため、飽きることなく、最後まで聴いた。後者は、声とともに優しくギターが語りかけていたりした場面もあった。が、"ぺーん、ぺーん"―あくまで私の印象ではあるけれども―と厳しさを与えており、このメリハリも、効果的な演奏であろう。

桜子

 カントリーミュージックの踏襲を感じる豊かなボーカルハーモニーが素晴らしいです。
 このアルバムは我々とは離れた孤高の地にあると思います。良くみんなは、スターにはオーラがあると言いますが、それはオーディエンスが勝手に距離を感じて、オーラを見出しているだけの事と思います。でも、その距離感は常人には作れない事です。そんなオーラがこのアルバムにはあります。いつになっても近づけないと思います。

湘南ギャル

 優しいね。今更だけど、すごく良い声だね。家の中で聞いてる大雨の音みたい。安心した気持ちと悲しい心がまぜこぜになる。そして、印象とは違ってキャッチーなのか、頭の中でずっと流れる。この優しさとキャッチーさって共存可能だったのか。ずっと聴いていたい心地よさだけど、少し悲しくなりすぎちゃうな。

しろみけさん

 こんなに声が良い人だと、前作では露にも思わなかった。というより、“声が良い”という感慨に浸らせるだけの演奏のしとやかさ、そして何よりミックスが素晴らしい。ギターやピアノのみの弾き語りだとこの声はより引き立ったりもするのだろうが、「Southern Man」や「When You Dance I Can Really Love」のようなハードなトラックと渡り合うためにニール・ヤングがグッと歌い上げる瞬間なんか、このバンドにしかできない芸当で心底感動する。尺も含め、同年代と比べてもアルバム構成力が頭抜けていたのがわかる。

談合坂

 ボーカルがすごく"マイクの音"をしている。YouTubeにあるマイクレビュー動画でポップガードなしのドライシグナルを聞いているときのよう。全体的に、人の動きをかなり直に音として反映している気がする。たとえばフレットボードの上の指がほんの一瞬動きを遅らせる、その瞬間が見えているみたいに錯覚する。時代性とか以上に、とにかく我々はある何処かに存在しているのだと主張する録音のように感じる。

 1年前くらいだろうか、初めてこの作品を聴いた時に本当に泣いてしまった。滅多に音楽で泣くことなどなく、例えば念願のライブを見れたり、映画の最後で流れたりした際に涙が出たことはあるが、イヤホンを付けて再生ボタンを押してそれだけで泣いてしまったのはほぼ初めてだった。泣けたから良い作品だ、などと言うつもりもないが、それにしても良い歌が良い録音で良い伴奏に寄り添われて鳴り過ぎている。自分の内面を開示することと、大衆の内面の脆い部分を作品に昇華することと、それを歌詞ではなくサウンドとメロディでもって形にすることがあまりにも高次に成り立っている。
 敢えて内容に触れるのであれば、「Southern Man」のギターソロの鮮烈さはこの後の全てのギターロックをおいてもその黄金の煌めきに到達出来ないと言いたくなる具合である。全てが始まって終わったゴールドラッシュ=1969年の先にこのオーセンティック極まりない作品が生まれている時点で、わたしは録音芸術というものの永遠さを信じざるを得ない。

みせざき

 曲や作品は必ず人生の一場面を彩るものとして存在する筈だ。本作を聴いたら必ず思い起こす瞬間がある。私は本作は高校の時初恋の時に聴いた作品だった。高校の夏、大阪に帰省した時に神奈川にいるであろうその子のことを執拗に思い、とてつもない孤独感に苛まれた。神奈川と大阪、今自分はその子と物理的に距離が離れていることを心の底から辛く思った。そんな時、偶々読んでいた『ねじまき鳥クロニクル』で主人公が井戸の底に一定期間閉じ込められるという状況にその孤独感を繋ぎ合わせ、本作がその孤独感をメロディーによってなだめてくれた。
 ニールヤングの声、アコギ、その全てがその時の情景を鮮明に思い出させてくれる。『ねじまき鳥クロニクル』と『After The Gold Rush』、そのような夏だった。今でもこの作品を聴くとあの時与えてくれた温かさがふと思い浮かぶ。

六月

 なんでこの男の声は、こんなにもヘンなはずなのに、聴いていると心が震えてしかたがないのだろう。前作(『Everybody Knows This Is Nowhere』)よりもおとなしめな演奏が続くのだけれど、青い焔みたいにひっそりとしていて、それでいて熱い。今のオルタナなどを経過した目で見ても、その音は確かに心に届く。一度でいいから、こんな音出してみてえ。

和田醉象

 歌心という概念があるなら、それを培ったのは間違いなく彼の偉業だ。彼が咲かせた花道の後を実に多くの人達が通った。
 語る以上に饒舌に風景を見せる。英語だけど歌詞を知りたいとは思わないし、知っていたとしても必要以上に解釈を加えたいとも思わない。語るほどに余計な装飾に思える。黙って少し酒を飲んで横になり、スピーカーなりイヤホンで聴けばそれだけで世界旅行ができる。そう思わないか?

渡田

 前回もだったけれど、ニール・ヤングの音楽は自分にとってそこまで重要なものにならなかった。
 このアルバムの出た1970年は、アメリカにとって華々しい時代ではなかったと思う。ただ、それを体験してないから、今の自分には響かないというわけでもないと思う。
 自分は見ていないけれど当時の状況に共感できる曲は意外とあって、例えばイギリスの不況に喘ぐ曲は、自分は経験してないはずなのになんとなくアーティストの気持ちが想像できたりする。
 昔の曲にはまったりはまらなかったりするのは、今と昔の価値観が違うとか、具体的に同じ経験をしているかというより、困難の捉え方とか、世の中に対する態度がそれぞれで、それが一致するかどうかなんじゃないかと思う。

次回予告

次回は、Santana『Abraxas』を扱います。

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