
Sly & The Family Stone『There's a Riot Goin' On』(1971)
アルバム情報
アーティスト: Sly & The Family Stone
リリース日: 1971/11/20
レーベル: Epic(US)
「『歴代最高のアルバム』500選(2020年版)」における順位は82位でした。
メンバーの感想
The End End
ブレイクする前からブレイクビーツみたいな不思議なドラム。コンプのかかり方と高域の削られ具合が、まるでサンプラーに取り込んでから鳴らしているような印象を与えている。特に「Just Like a Baby」のドラム、サンプリング・レートを落としたような、デジタル・ローファイ的な味わいがあってすごい。
これまでのアルバムたちとまるで様子が違うぞ、と思ったら、スライ・ストーンがほぼ単独で宅録して作ったものらしい。デッドな空間の音がしているのではなく、空間の音がほとんど削ぎ落とされている感じで『HOSONO HOUSE』とは違った"部屋の音"、極めて今日的な宅録のサウンドに近いものがあると感じた。
それと、ところどころ、ジャミロクワイみたいだな〜と思う瞬間があったのだけど、よく見るとこのアルバムには「Spaced Cowboy」という曲がありますね。
コーメイ
ふとした鍵盤の演奏やコーラスの一部といった細部で引っかかる箇所が多いアルバムであった。もちろん、嫌な爪痕ではない。聴いていて、"ああ、これ心地いいな"と思わせる部分が多い。これらの要素でつるつると通っていくと、終わりまで辿り着く、そのようなアルバムであった。
桜子
私にとって、この作品は、アルバムの世界観に染まって楽しむというより、アルバムが自分の楽しさを引き出してくれるような感覚を教えてくれるものだと感じました。淡々と続くリズムに、どこまで自分が乗れるか、ある種試されるような気持ちにもなりましたが、帰り道に踊りながら楽しめました♪
湘南ギャル
ファンク好き!って言うと、あの明るくて華やかな音楽をあなたが……?という反応をされることがある。そういう人にぜひ聴いてほしいアルバム。この時期くらいからのスライが持つ、薄暗さ・寂しさ・ねちっこさは、ファンクの新しい側面を見せてくれると思う。私は、聴いただけじゃ英語はわからない。でも、歌い方や音色、メロディを聴いているだけで、その物悲しさを全身に感じる。正直、こんな平日に真っ直ぐ向き合うのはしんどくなるくらい。泣き喚くでも騒ぐでもなく、ただ訥々と苦しみを吐露しているスライの姿が目の前に浮かんでくる。頼むからもっと周りの人によりかかってくれ。いま幸せに生きててくれないと、悲しすぎて聴いてられないよ。
しろみけさん
ビートルズの中期に並ぶ価値観の転倒。"これをアリにさせる価値観はどうやって育ったんだ?"と戸惑うくらいの音の籠らせ方。そりゃニック・ハキムもアール・スウェットシャツもゆらゆら帝国も既に知っているので大手を振って楽しめるのだが、発表当時のファンたちの驚嘆っぷりは想像に難くない。
とはいえ、スライがこれまでの作品でも果たしていた歴史の集大成的な役割はここでも継続。暴動の冒頭(言いたかっただけ)「Luv N' Haight」で、デッドなリズム帯とワウでハイを強調させたギターのフレーズを対比させる効果なんかはマイルス『Bitches Brew』でも確認できるし、「Thank You for Talkin' to Me, Africa」のポケットそのものみたいな演奏はミーターズからの流れだ。そして何よりジェームス・ブラウン。『Sex Machine』を聞いた時に"JB、実はまだファンクに気づいてないんじゃないか?"と思ったけど、スライは確実に気づいていて、ビートのトメハネだけで十分に気持ちよくなれることをここでは実践している。しかも録音環境のマジックによって、その実践が誤魔化しの効かない形で封じ込められている。そのおかげで私含め大勢が"解る"ことができた。これがないと現代の音楽の大半は成り立たない、そのくらいのパラダイム・シフト。
談合坂
ベースが終始デカくてありがたい。パツパツのドラムとかドライなクラヴィネットとか、厚みのない音色を慎重に鳴らすとこうもストイックに聴こえるのってどうしてなんだろうか。「Runnin' Away」なんかに表れている軽さって、ただ気楽にやっていても生まれないもののように思う。楽譜上では日曜の午後の音楽になるんだろうけど、いざ聴いてみればそんなものは立ち現れてこない。響きそのものが形をつくる、サウンドの音楽を地で行くようなレコーディング。
葱
密室ファンク。このベースのサスティンのなさ、煌びやかさを減らしたデッドなドラム、と同時に飛び込んでくる渾然一体とした中域の声やオルガン。空間の広がりがないからこそ内面化していう密な密なグルーヴ。汗が滴り脈動するプレイヤー達の姿が目に浮かぶ。私はファンク・ミュージックというものに触れないままここまで来てしまったが、この企画で聴くファンクはどれも物悲しい。アルバムの最後の曲「Thank You for Talkin' to Me, Africa」の中盤、気持ちだけで歌っているような喉の絞り方にこのアルバムの本質がある。
みせざき
陽気から空元気に変わりつつある、そうした転機となる時代のファンクなのだと思う。ハッスル系のファンクよりこっちの方が断然好みだし、この乾いた感じがたまらない。
本作はスライ・ストーンがほぼ一人で作り上げた作品だから、ドラム・マシンも初めて採用された。だからそうした機械性が初めは違和感となるが、それがまた快感となる。しかもそのサウンドは、後にヒップホップのビートをR&Bサウンドとして再構築し直したディアンジェロや、ヒップホップそのものの方式に繋がる。ドラムマシンで重ね取りなのに、そこに間違い無く確固としたグルーヴが存在している。
また要所で出てくるアイク・ターナーか分からないが、ギターのフレーズの色の添え方もまた素晴らしい。これこそがスライ&ザ・ファミリーストーンの真骨頂だと思う。
六月
今回聴き直してみて、僕はこのアルバムをこの二十年後かに勃興するテクノ・ミュージックに繋げることが可能なのではないかと思った。それはやはりリズムの規律化の面においてだ。当時において、メトロノームに毛のはえた程度のものであっただろう、リズムボックスを楽曲に使うということが当時においてどれほど先駆的な試みだったのかは想像に難くない。練習用かスタジオミュージシャンを雇う費用を浮かせるために作られたであろうこの機械の、"半永久的に同じリズムを鳴らし続ける"ということがファンク、ひいてはダンスを行わせ、それを持続させるための音楽にどれほどの影響を与えただろうか、ということに思いを馳せざるを得ない。細野晴臣も、『HOSONO HOUSE』~トロピカル三部作の時期に、主にリズムの面においてこのアルバムの次作となる『Fresh』(残念ながらこのランキングにはランクインされていないが、このアルバムの音楽性を深化させたような素晴らしいアルバムなので聞いていない人は必ず聴いてください)を聴き込んでいたらしく、多分、コンピューターによる音楽の全般的な規律化を目指したYMOに少なからず影響を与えていると思われる。
アルバム全体に通底しているシリアスさは、もはや『Stand!』や『Greatest Hits』の頃の輝かしい高揚や溌剌さはどこにもなく、本人たちにもあの卓抜したグルーヴを生み出す神通力や絆もとうに失われたのに、機械の力を使ってでもリズムを作り出し、踊り続けなければならないという切迫した気持ちからくるものなのだろうと思う。苦しみを紛らわせるために踊るのではない、踊りは苦しみよりも先にあり、そのためのリズムはこの地球上で延々と、永遠に鳴り続けている。無機質な機械のリズムに、原始的な響きが含まれているのはその現れなのだ。
和田醉象
いかなさすぎ。絶頂の寸前でずっと止められてるみたい。美人のダンサーが目の前で舞い続けているが、それ以上ではならない、みたいな高まり方だ。爆発はないが常に情緒は上昇し続けている。
また、リズム・セクションに多少なりとも自身を持っているバンドであろうに全編リズムマシンを導入しているのが意外だ。ノイズも多分に含まれていて、その御蔭か若干仕上がりが宅録みたいな粗さがある。だがそこはSlyなので全体で見るとちゃんとした出来になっているのが面白い。(今調べたら本当に宅録同然の収録環境だったらしい。そりゃこんな感想になるじゃんね)
渡田
クールなファンクを初めて聴いた。自分が今まで抱いていたファンクの印象、賑やかな印象はただの一側面に過ぎないことを思い知らされた。
一音一音がうねりながら響くファンクらしい音色を落ち着いて聴かせてくれる。穏やかとも賑やかとも違う、スマートな印象を持たせてくれる音楽。
次回予告
次回は、David Bowie『Hunky Dory』を扱います。
また、「或る歴史と或る耳と」紙面版が好評発売中です!ぜひチェックを。