<小説>白い猿① ~前田慶次米沢日記~
一
白布高湯(しらぶたかゆ)は米沢城から北へ三里半、吾妻(あづま)連峰の山懐に抱かれた静かな湯治場である。
鎌倉時代の末に、傷ついた鷹が羽を休めていたのが開湯の由来とされ、米沢が伊達領だった戦国末期には、伊達政宗の父輝宗も浸かったという。
前田慶次利貞(としさだ)は、その湯治場から少し離れた外湯に浸かっていた。
石を組み合わせてつくった二畳ほどの窪みに湯を引いた簡素なつくりで、あたりには湯気がもうもうと立ち込めている。
このあたりは標高約九百メートル、新緑の季節になっても朝夕はまだ肌寒い。
「ふう」
慶次は盆に載せた杯の酒を飲み干すと、大きく息をついた。
川のせせらぎが聞こえてくる。吾妻連峰を源とする最上川の支流、大樽川(おおたるがわ)の渓谷がすぐ近くにある。
源泉は川の近くにも湧き出ており、そのせいで河原のあちこちに湯だまりができている。
そのひとつを見て慶次ははっとした。白髪頭の老人が背中を見せて湯だまりに浸かっていた。
いや、人ではなかった。頭からつづく背中にも、腕にもびっしりと毛が生えている。
なんと猿である。しかも全身が白い毛に覆われた猿だった。白い猿が湯浴みをしているのである。
距離にして七、八間(約十三~十五メートル)ほど。
その白猿がこちらへ振り返った。毛のない赤黒い顔の中の目の端で慶次を一瞥したが、悠然と湯に浸かっている。
「なんとまあ」
慶次は驚きを通り越して愉快な気持ちになった。
人間を見ても少しも怖気づかないどころか、「まあ、許してやろう」といった風情である。
緑深い山塊には手つかずの自然が残り、鳥や獣、虫や魚も草や木々も思い思いに生きている。
この野性の命の濃い界隈では、人のほうが「余所者」であり、遠慮すべき存在なのだろう。
湯治場に戻ると、慶次は湯守の利助という老人に声をかけた。
「なんと、白い猿を見たぞ」
自然に言葉も弾んでいる。
「へえっ、滅多に見れねえもんなのに、よく見たっすなあ!」
利助も感嘆して大きな声になった。
聞けば吾妻連峰にはいくつかの猿の群れがいるが、何年かに一度、群れの中に白い猿が生まれることがあるという。
猿は秋から冬にかけての交尾期以外はオスとメスが分かれて行動している。群れはそれぞれ三十頭から七十頭ほどいるが、群れるのはすべてメスとその子どもたちである。
従ってこの白猿はオスなのだろう。
白い猿は神の遣いとして土地の者に崇められてきた。
「悪さしちゃなんねえだす。神さまに悪さすると罰が当たるだよ」
利助老人が真顔で言った。
「わかっておる」
もとより慶次には猿を捕まえようなどという意図はない。
翌日も外湯に行くと、白い猿はすでに河原の湯だまりに浸かっていた。
そのとき慶次にいたずら心が起こった。河原に降りると静かに着衣を脱ぎ、湯だまりの一つに浸かった。少しぬるいが耐えられないほどではない。
猿との距離は五間ほどしかない。
それでも白い猿は慶次をちらりと見ただけで、いささかも動じることなく湯だまりに浸かっていた。
その泰然とした仕草に、慶次はある人物を思い出した。
豊臣秀吉である。
かつて慶次が天下一の傾奇者と称せられていたころ、時の関白太政大臣豊臣秀吉に拝謁したことがある。
若いころ「サル」というあだ名で呼ばれていただけあって、秀吉の風貌は猿によく似ていた。
だが堂々たる天下人の風格を備えた関白の姿には、さすがの慶次も感銘を受けた。
「そうだ、これからお主を『関白』と呼ぼう」
白い猿はちらりとこちらを見たが、何の反応もしなかった。「いいだろう」とでも言っているように。
「これからもよろしくな。『関白』どの」
慶次は湯だまりを出て小さく呟いた。 (つづく)
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