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【自己紹介】スポーツ遍歴
今回は自己紹介自分語り編です
色んなところで自己紹介をすることが増えたことで毎回同じ説明をするのがちょっと苦手なので
noteに載せてこれ見てくださいってしようって考えで書いてみました
そもそもnoteに自己紹介を乗せずに変な記事載せまくるまえにすべきことなのですが
今回のちょっとした注意としては自分語りと思い出話で特に写真とかない上に自分の記憶の都合の良いように理解している可能性があることを承知で読んでいただければ幸いです
記憶なんてそんなものです
あと、個人的に悲しくなる重い話題は好きではない(記事として書き残したくない)ものの現状を説明する以上は避けては通れないので書いてます
といっても挫折したんだーくらいですが
スポーツとほぼ関係ない個人的で一般的な普通の自己紹介ゾーン
僕は現在、登利平というお弁当の会社で実業団選手として陸上競技の400mを専門にやっています
noteを始めた理由は、僕は多趣味であるにもかかわらずそれを説明するとか話すとかが苦手なので
人に話したいけど吐き出しずらい話をnoteにしています
その趣味に関してはアクアリウム、水族館巡りを筆頭に他の趣味は一言で説明も難しくアウトドアだったりインドアだったり境界線を行ったり来たりしているので、
その経過はnoteや僕のインスタを見ると一目瞭然です
多趣味になる原因を自分なりに考えてみると興味のハードルが低く、気になると感じてさらに少しでも良いと感じたらその方向へ向かう性質があるからかもしれません
こんな感じなので趣味という概念を売れるなら大金持ちになれるでしょう
スポーツ遍歴
小学校前半
僕が陸上競技をするもっと前、小学生低学年の最初はサッカーを半年くらいやってました
と言っても試合に出た訳ではなくて練習の時点で日差しの暑さにやられて半年でギブアップ
大人になったら外で走り回っているよと伝えてあげたいですが木陰で横になっていた記憶しかありません
次は水泳
僕は水に顔をつけるのはなんてことはありませんでした(↓理由)
「水」というものに慣れ親しんでいたはいいものの泳ぐことに関しては別の話
基本的に不器用なので犬掻きくらいしか上達せず
泳いだ後の温水のお風呂気持ちよかったくらいしか記憶にありません
残りの小学生ミニバス時代
小学3年生の秋ごろから友達のお母さんに勧められてミニバスケットボールを始めました
決して上手な部類ではありませんでしたが
楽しく日々を過ごしていました
ただ、僕の人生で最初の挫折の経験をこのミニバス時代に経験することになりました
今は分かりませんがバスケットボールは10分間の試合を4回、1回ごとを1クォーターというのですが、4クォーターにわたって行われていました
小学校で行われるミニバスは少し時間が短くて1クォーターが6分(これも今どうなのか分からない)
小学校六年生のころには最初の1クォーターを出させてもらえるようになっていましたが
どっかの試合で3位になったことをきっかけにもっと試合に出たい、活躍したいと思うようになりました
とは言っても僕はその試合でシュートを決めたとか、決め手になるサポートをしたとかではなく
なんとなく会場にいたら3位入賞の盾を貰いました
それが僕にとっては当時悔しかった
「勝つ」ことに貢献していないのに「勝った」証を受け取ったことに悔しいと感じました
その辺りから自分なりに練習してはみたもののこの頃はもう小学6年の冬頃になっていたし
ちょっと無茶をして疲労骨折とか色々ケガも重なって、最後の試合まで状況は変わらず小学校を卒業しました
ちなみに小学生の時、陸上の大会に一度出たことがありますが特に思い入れとかはなくユニフォーム恥ずかしいなくらいな印象でした
中学生バスケ部時代
中学校ではこれも今は分かりませんが
当時は基本的には部活動に入らなければいけません
この時陸上部を勧められていたのですが
僕なりにどうにかもうちょっと頑張って試合に出たい、活躍したいしその事を諦めたくないと思って中学校でもバスケ部を選択しました
なんとか見返したかった
でも状況は変化しなかった
練習がとにかく厳しくてなんとか耐えて1日が過ぎればいいと考えている状態ではとても上達出来る余地なんてありません(少なくとも僕は)
当然ながら試合には完全に出られない
やがて一つ下の後輩がバスケ部に入ってきてすぐに試合に出ていましたが
僕はその頃には立派なベンチウォーマー
最後の試合にも出ることはなく終わりました
最後の先生の話をしているときに
みんなが泣いて聞いている中で僕は一人だけ泣けませんでした
みんなはチームが負けた悔しさで泣いていたような雰囲気の中、僕は別の場所で自分の不甲斐なさとか努力しきれなかった自分、弱い自分に泣いていました
あれだけチームとしてやってきたのに、その時は自分のために泣きました
バスケ部引退と駅伝
それから夏休み前にバスケ部を引退して、長距離、駅伝をちょっとだけしていました
バスケ部の夏の練習で駅伝に参加してから練習する一連の流れがあり引退して暇(受験勉強を除けば)だったので参加していました
この時の駅伝での時間は陸上競技に対してポジティブな印象を残しました
練習はキツかったけど元々走るのが好きだったのもあって単純に楽しめたし冗談が飛び交う中で練習する時は真剣にするみたいな緩急がありました
(環境によるけどね)
久しぶりに上達のために練習をした気がしました
その後は県大会まで進みましたが敗退
ですが陸上競技に対しての良い思い出として残っています
高校で陸上と出会う
あれだけ悔しい思いをしても部活動見学の時はバスケへの未練がありました
その部活動見学ではバスケを見に体育館へ行きました
そしてそこには中学時代の先輩たちがいて笑顔で迎えてくれました
でもそこで今までの悔しい思いがトラウマっぽいイメージで湧き上がってきて背筋が凍る感じを味わい、そのまま体育館を去りました
どうしたものかとその足でフラッと校庭に向かっていくと何となく、そこの先輩達に捕まって入った部活が陸上部でした
でも当時の心のどこかでは陸上なら個人種目だから最後の試合には出られて納得のいく終わりにできるかもしれないと思いました
陸上にさらに引き込まれて頑張ろうと思ったきっかけの出来事があって、400mとの最初の出会いでもあるのですが、関東大会の女子の400mのレースでした
バスケ部時代には想像もしていなかった関東大会の決勝のレースで一人の選手が包帯をぐるぐる巻きにして出場していました
※今だと大会運営にも迷惑かかるし本人の将来性も加味したら絶対に出場させてはいけない
その選手は当然ケガをしているのでタイムも遅く1番最後でゴールしていました
でもゴール直後に会場が歓声と拍手に包まれ僕もこんな風に心を動かす選手になりたいと強く感じより練習に励むようになりました
400mを始めたきっかけ
陸上を始めて半年くらいの時、先生と先輩からバスケをしていたなら体力あるし400m出ろやと言われて試合に出ることになりました
でも入部して最初の県選手権の400mを見たときゴールしてバタバタ人が倒れていき、運ばれ動けなくなる姿が頭にちらつきつつ
まあやるかという感じで始めました
そこからタイムが伸びたりなんだりしながら
諸々あって今に至ります(別の機会があれば別の機会に話します)
最後に
スポーツ遍歴と思い出話だけでしたがどの経験もなんとなく今にいきていて戒めになっている場面もたくさんあります
あくまで僕にとって陸上が良かったように逆のストーリーになることも当然あると思います
最後に僕が昔の僕に対して言いたいのは
「手も足も出ないガチ挫折してて辛いだろうけどその後も挫折は結構するけど楽しんでるよ」