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【小説】追手吹く風 秀吉〈其五〉軍師半兵衛

「そんな馬鹿な。あの難攻不落の稲葉山城がたった十七人で落とされただと。信じられん」
 藤吉郎は詰め小屋で飯を食っていたがその報を聞いてすぐ、茶碗を投げ出し物見櫓へ駆け上がった。たしかに北東に見える稲葉山城から、煙が上がっている。
「藤吉、こりゃあやったのは竹中半兵衛かもしれん」
 小六も追いつき、櫓へ上がってきた。
「竹中半兵衛?」
「ああ、竹中半兵衛重治。美濃三人衆安藤守就の婿で、美濃の孔明と呼ばれる仁じゃ。最近は龍興に諫言したことで菩提山で蟄居させられていたはず。」
「ほう、主君に諫言を。そりゃあ国の宝じゃな。斉藤家には人がいないと思っておったが、話のわかる男がいたのか。その美濃の諸葛亮孔明がとうとう美濃を取ったのだな」
「うぅむ。どうじゃろう。本当に取ったのか、龍興への躾か。かの仁に野心はないように思える」
「なんの、男なら誰でも野心はあるじゃろ。よし、その孔明をこちらに取り込もう。馬鹿の龍興を相手に城を力攻めするより話が早そうじゃ。」
 小六が耳にしている竹中半兵衛重治という男、どうも地位や銭に対し興味がないように思える。斉藤家中でもかなり浮いた存在だったようで、談合に群れることもなく国のあり方を真っ直ぐ見ていたようだ。こういう類の男は保身に焦る群れの中ではとても厄介者であった。更に斎藤家三代目当主龍興は道三の薫陶はとうに薄れた若者で、酒池肉林の日々をただ毎日消化しているだけの男であった。これでは国が滅ぶ、と見かねた竹中半兵衛は龍興に経営についてくどくどと説いた。当然龍興はそんな半兵衛を疎み嫌い遠ざけた。主君がそのような態度だと必然的に家臣もそれに倣う。斉藤家では半兵衛を集団でいじめた。肌が白く線の細い半兵衛は粗暴な侍たちに突き飛ばされるような毎日を送っていた。しかし諦めずに諫言を続けた結果、とうとう城を追い出されたのである。
 もう少し彼をを語りたい。
 城を追い出されても自身が支える斉藤家を見捨てることができず、なんとか龍興の目を覚まさせたいと考えた。そこで荒療法だが、油断をするとこうなるぞという躾のために稲葉山城を乗っ取るという行動に出た。これが今回の事件であった。
 この稲葉山城乗っ取り事件は後世に語り継がれて当然な痛快さを持っている。龍興から蟄居させられた半兵衛は稲葉山城に登ることが禁止されていた。しかし彼の弟はまだ城に仕えていた。半兵衛はその弟を病にさせた。そして
「久作を見舞いたい」
 と、門番に鍵を開けさせ難なく城に入り、件の弟も合流し竜巻のような速さで内部から門や柵を破壊した。それを合図に城下に待たせてあった舅の安藤守就の兵千人を引き入れ一気に落とした。追い詰められた龍興は肌着一枚で搦手から山を転がり落り、長良川を小舟で逃げた。信長や藤吉郎たちが何年掛けても落とせなかった稲葉山城を半兵衛はその知恵一箇で数時間で落としてしまった。

「小六、すまん、留守を頼む。儂は急ぎ小牧へ戻り信長様に書状を書いてもらってくる」
 藤吉郎は馬を飛ばし小牧の信長の元に戻り急ぎ報告をした。あの稲葉山をたった一日でか?と信長も腰を浮かせて驚いた。信長はすぐに理解し、半兵衛を口説け、と藤吉郎に指示を出した。待っていたとばかりに藤吉郎は、織田に味方をすれば所領安堵と美濃半国の支配を認め今後は協力関係を結ぶ、という書状を信長に書いてもらった。
 その藤吉郎からの書状を竹中半兵衛は稲葉山城の本丸で受け取った。
「ありがたいお話だが私には美濃を我が物にする野心はない。いずれすぐに龍興様に城を返すつもりだ。お構いくださるな、とお伝えくだされ」
 そう言って藤吉郎の使者を丁重に帰した。
「やはり、半兵衛殿は城を返すか」
 小六は得ていた人物象通りだったことに満足そうである。
「なんと清々しい。本当に孔明のようじゃなぁ。ますます半兵衛が欲しくなったわ。しかし龍興が黙っておらんだろう。よし、小一郎、小六、また留守を任せた。ちょっと出かけてくる」
「兄者、また小牧か?」
「いや、ちょっと碁でも打ってくる」
「お、おい」
 困惑する小六に小一郎は笑いながら
「小六殿、では我らは床几を一つ、新しく用意して待ちましょう」
 小一郎はそう言って櫓を飛び降り砦を出ていく兄の背中を見ていた。

 数日後、竹中半兵衛は隅々まで綺麗に掃き清め、稲葉山城を龍興に返却した。龍興は対面した半兵衛を直視できず顔をそむけたまま
「よい、さがれ」
 と、ようやく一言絞り出し、面会は終わった。
半兵衛は小姓の平太郎一人だけ連れて居城である菩提山城へ帰って行った。
 平太郎には
「さやを抜いておけ」
 と命令しておいた。龍興がこのまま自分を返すわけがないと考えてのことである。
 馬上、西へ向かう途中に数名の兵の死骸が転がっていた。
(敵か?)
 半兵衛は身構えたが、空気は変わらない。
「半兵衛様」
 周りを偵察し終えた平太郎が、辻堂に置かれていた文を見つけ半兵衛に渡した。
 読み終わり半兵衛は笑い
「平太郎、槍をしまえ。龍興様の刺客はもう襲ってこないそうじゃ」
 その文には
「街道沿いの塵は払い清めて候」
 と書かれていた。さらにご丁寧に
「木下藤吉郎」
 と、署名と血判まで押してあった。
 半兵衛はどこかその辺りにこの木下藤吉郎という男が潜んでいるとみたが、それにしては気配がない。 
「うぅむ。こうしていても仕方がない。進もう」
 二人は無事菩提山の城に戻り、そのまま消えた。

 この後、竹中半兵衛は完全に世を捨てた。城を捨て領地を捨て、美濃と近江の境あたりの山奥に小さな庵を結び世間から完全に隠れた。山で菜を取り、川で魚を掴み、日長碁を打って過ごした。身の安全のためでもあるがそれよりも、世に飽きてしまっていた。
 元々身体も丈夫な方ではなく、槍よりも書物を持っている方が自分には合っている、と思っていた。父の重元の急死により竹中家を継いだが、そもそも槍働きは向いていなかった。しかし誰よりも兵法に通じ、また誰よりも学んでいるとう自負だけはあった。そんな自分の腕を試したい、という思いも今回の稲葉山城乗っ取り事件の大きな動機であった。そして描いた通り成功した。やはり自分の才能は人と違うと確認はできた。が、それと同時に
「私はよく切れる刀だ。しかしどんな名刀も扱う者の腕が悪いと竹光と同じだ」
 と、戻ってきた龍興の顔を見て失望してしまった。
 どうせ誰もこの半兵衛をうまく使いこなせない。そうであればいっそのこと捨ててしまおう。それが半兵衛をして山奥の庵で碁を毎日打たせている理由だった。
 「半兵衛様」
 小姓の平太郎が半兵衛に耳打ちで伝えた。
「客?」
 小男だが声が大きく、山の入り口から騒がしい笑い声を響かせて登ってきたという。
「迷い人なら追い返せ」
「いえ、迷ってきたわけではないようです。半兵衛様にぜひ会いたいと」
「ん?なぜ私の名を知っている。まさか龍興様の刺客か」
「いえいえ、そうでもないようです。自分は尾張者だ、と申しております」
 尾張に知り合いはいないが、と警戒はしたが同時に、なぜここに居るのが自分だとわかったのだ?と興味の方が勝ってしまった。半兵衛は庵の奥でその小男を応対した。通された客はもちろん、藤吉郎である。
 藤吉郎はたった独りで肩衣平服のままあらわれた。しかも腰の刀は入口で平太郎に預けたようで丸腰であった。
(仮にもここは美濃、尾張者にとっては敵国だぞ)
 と、半兵衛の方が心配になった。
「おお、其方が竹中半兵衛殿か。初めてお目にかかる。儂は織田家家臣、木下藤吉郎と申す」
 半兵衛は不意に疑問が晴れたことでつい、ああ、あの時の、という顔をしてしまった。その一瞬の隙に藤吉郎は入り込んでくる。
「おお、儂の名を覚えていてくださったか。奮闘して龍興の使いを切り倒したかいがあった」
 と、子供のように手を叩いて笑った。
 (なんと無邪気に。しかもこともなげに重大なことを)
 半兵衛のような男は弁ではなく明るさで崩されるのに一番弱い。勢いに押され気がついたときには心が溶かされている。最初はすぐに追い返すつもりが気がつけば一刻ほども話し込み、碁まで打っていた。藤吉郎は終始他愛もない話をし、大声で笑った。半兵衛もつられて声を出して笑っていた。半兵衛は藤吉郎の春風のような人柄とその奥にある聡明さに興味が出てしまっていた。
「いゃあさすが半兵衛どの、兵法を極めておるだけある。儂では全く歯が立たん」
 負けっぱなしでは悔しいのでまた明日も来る、と言い残しさっさと帰ってしまった。半兵衛と平太郎は庵の外まで藤吉郎を見送り
「半兵衛様、あの方は何をしに来られたのでしょうか?まさか本当に碁を打ちに?」
「知らん」
 半兵衛は笑って庵に戻った。藤吉郎が去った庵は可怪しいほど静かすぎた。
 
 次の日、本当に藤吉郎はまた山を登ってきた。そして昨日と同じように、ばちんぱちんと碁を打った。藤吉郎の打つ手は力強く迷いがない。それでいて定石でもなく予測が出来ないがとても良い手を打ってくる。しかし最後には必ず半兵衛が勝った。わざと負けているようにも思えない。半兵衛は藤吉郎に対して湧き上がる興味を抑えきれなくなってきた。
「木下殿。昨日といい今日といい、どうして私と碁を打っているのですか?」
「そりゃあ半兵衛殿と碁を打ちたいからじゃ。儂は半兵衛殿に碁を教えてもらっておる、ただそれだけじゃ」
 そのためだけに毎日尾張から?そんな訳が無い、と半兵衛は可笑しくなった。
「またじゃ、また負けた。おおいかん、そろそろ日が落ちそうじゃ、ではまた明日も」
 そう言って藤吉郎は山を降りてしまった。

 次の日もやはり、藤吉郎は山を登ってきた。そしてまた二人で碁を打ちはじめた。
「半兵衛殿。やはり半兵衛殿はお強い。儂では歯が立たんわ。しかし儂は全く悔しくはない。それよりもこんなに楽しい碁を打ったのは生まれて始めてじゃ。」
「はは、そんな大袈裟な。ただの碁ですよ」
「いやいや。半兵衛殿の碁は遠く天竺でも敵う相手はおるまい。本当に強い。しかしじゃ、こんなに楽しく半兵衛殿と碁を打てるのは東西広しといえども、儂しかおらん。どうじゃ、明日からは儂の墨俣の陣で一緒に碁を打たんか?」
「いいですね」
 半兵衛は藤吉郎のあまりに自然な誘い方に、思わずそう答えてしまった。最初から自分を家臣に誘うつもりでここへ来ているだろうとはわかってはいたが、ここまで素直で且つまるで友を扱うような誘い方があるだろうか。
「おお、来てくれるか」
 藤吉郎は飛び上がって喜んだ。
「これで信長様の夢も叶うぞ」
「織田殿の夢?」
「ああそうじゃ。信長様の夢じゃ。信長様は誰もが自由に商いし、誰もが健やかに天寿を全うできる、そんな国作りを目指しておる。今はまだ尾張だけじゃが、いずれはこの日の本、すべてをそんな国にしようとお考えじゃ。そしてその後は海を渡り、天竺まで夢を広げる。ああ、なんとも大空のように壮大じゃ」
 藤吉郎は両手を広げて語った。
「本当に、壮大な夢物語ですな」
「いやいや物語ではないぞ、未来じゃ」
「未来」
「そう、信長様は夢を見ておられる。しかしその夢は物語ではなく未来じゃ。儂は信長様の見る未来をどうしても叶えたい。それには人物が足らんのじゃ。己の欲ではなく、この国のために一緒に夢見ることが出来る、そんな人物が足らんのじゃ。儂は半兵衛殿なら一緒に夢を、未来を見られると信じておった」
 半兵衛は心に温かな風が吹いた気がした。この戦国乱世にこんな清々しい考えを持った男がいるのか、と。この男は自分の野心や夢ではなく、主君の夢を本気で語っている。そのために敵国までたった一人で通ってきた。半兵衛は感動を抑えきれなくなっていた。
「木下殿。私は自分の力を捨ててしまおうと考えていました。それは自分のためだけに使おうとしていたからかもしれません。しかし今、貴方様を前にしてようやく私がこの世に生まれてきた理由を見せて頂いた気が致しました。この半兵衛、貴方様のもとで、共に大きな夢を見てみたくなりました」
「おお、そうじゃそうじゃ、半兵衛殿ほどの知恵を山奥で腐らせるのはいかん。罪じゃ。この国のため、信長様のため、擦り切れるまで存分に使ってくれ」
「かしこまりました。さあ、その大きな夢にお供させていただけるとなれば、ここで碁を打つ暇も惜しくなってまいりました。すぐに発ちましょう。平太郎、出立の用意を」
 知恵を愛し、人を愛した天才軍師、誕生の瞬間であった。

つづく。
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