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【歴史小説】追手吹く風 秀吉〈其七〉千成瓢箪
「おお、ここからは本丸が見下ろせるのか」
藤吉郎たちは茂助の案内で稲葉山の山頂まで寸時に登り詰めた。見上げるほどの高さにあった城の本丸が、今は自分たちの下にある。藤吉郎たちは木々の隙間で屈んだまま城内の様子を確認した。
城内は織田軍が鼻先まで来ているというのに慌てる様子もなく平時と変わらない。数人の見張りだけを立たせて後は眠っていた。
「緊張感のない現場だな。これなら下から攻めても良かったかもしれんな」
小六は呆れてしまった。
「いやいや油断はいかん、なんせ道三がしごいて育てた兵じゃ、正直我ら尾張者よりは強い。よし皆、用意していたあれを」
藤吉郎は指示を出しながら自らも懐に丸めた旗を取り出し背中に差し込んだ。黒と赤で染め上げた生地に斎藤家の証である二頭立浪を白地で抜いた旗指物である。
「良いか皆、手筈通り城内では美濃者になりきって、敵襲、敵襲とわめきながら行走り回れ。儂はその混乱に乗じて一ノ門まで一気に駆けて門扉を開く。あとは麓の小一郎に合図を送れば信長様がすぐに駆け上がって来てくださる。よいか、一気にじゃ。臆するな」
「まて、俺も連れて行ってくれ」
「おお茂助。勿論じゃ。手柄を上げて信長様に見てもらおう。よし、では儂の旗をお主の背中に差してやる」
こうして準備を終えた藤吉郎たちは
「そりゃあッ」
と、山を駆け下り
「敵襲ッ敵襲ッ、夜討ちじゃッ夜討ちじゃッ」
と各々叫びながら城内へ散らばっていった。
城内は敵がどこにいるのか分からず瞬時に混乱した。藤吉郎たちは斎藤家の旗で暴れまわったので誰からも疑われることなく難なく仕事をこなしていった。敵を切る者、火を付ける者、壊して回る者、そして門を開けるために駆けていく藤吉郎。
「よし見えた、あれが一ノ門か」
混乱により一ノ門には見張りがおらず藤吉郎は易易と閂を引き剥がし、櫓門の上に駆け上がった。と、その時、屋根の上に伏せていた敵兵が瓦を蹴って切り込んできた。
(切られたッ)
と思った。
しかしその敵の刃は藤吉郎の鼻先で止まった。敵は背中を一文字に切られ、そのまま櫓門の上から下に落ち、崖を転がり落ちていった。あとには山刀を構えた茂助がそこに立っていた。
「茂助、助かった」
茂助は頷き、そのまま櫓門から飛び降りて走り去っていった。
藤吉郎は冷や汗を篭手で拭い、すぐさま腰にぶら下げていた瓢箪を掴み、残っていた酒を全て六腑へ流し込んだ。殻になった瓢箪を槍の先に結びつけ
ぐぁん、ぐぁん
と、小さな体が振り飛ばされるほどに大きく大きく振り回した。この瓢箪は記録には
「おおいなるひょうたん」
と、記されている。小男の藤吉郎には似合わないほどの大きな瓢箪だったのであろう。
「この日のために寧々にでっかい瓢箪を用意させておいたんじゃ。さあ、見えるか、小一郎ッ」
「動いたッ」
麓、墨俣の櫓の上で小一郎と半兵衛は藤吉郎が振り回した瓢箪をその目で捉えた。小一郎はすぐさま藤吉郎へ返答の狼煙をあげた。半兵衛は
「小一郎様はここをお守りください。信長様へは私が」
と、櫓を飛び降り信長に知らせに走った。
「でかした藤吉。よし、全軍、押し出せッ」
知らせを聞いた信長はすぐに床机を蹴って立ち上がり陣幕から飛び出した。
織田軍は一気に稲葉山城を駆け上がり、あっという間に二の丸まで討破った。本丸に立て籠っていた斎藤龍興も
「落城必死、討死覚悟」と腹を括り、最後は武士らしくあろうと槍を掲げて飛び出そうとした。そこへ藤吉郎が
「お待ちくだされ」
と駆け込んできた。
「斎藤龍興殿とお見受けした。信長様より、城を開き退去をするならば城内全ての者の助命を約束する、と承っております」
「何、それは誠か」
「偽りござらん」
「ううむ。隼人、ではこの者の言う通りにせよ。儂はこのまま落ちる」
龍興は側者の長井隼人に処理を命じ、そのまま舟で長良川を下り伊勢まで落ちていった。
龍興は三年後、朝倉軍に合流し姉川で織田軍と戦うが、あえなく戦死した。二六歳であった。斎藤道三が生み出し、義龍が積み上げた美濃斎藤家はこの時にこの世から消えた。
信長はこの美濃攻め後すぐに尾張小牧山城を捨て稲葉山城に入り、城の名を岐阜城、と改めた。
まだ切り出したばかりの木の香りが新しい、岐阜城の広間に呼び出された藤吉郎は白洲の上で平伏し信長を待ってた。
広間から信長の
「藤吉、よい。ここへ上がれ」
と声がする。
「よ、よいのでしょうか」
「よい」
信長は藤吉郎を広間に上げた。
「藤吉、この度の美濃攻めの第一の功はお前にある。あの瓢箪はまだ持っているか?」
「はい、しっかりと寧々に預けております」
「うむ。ではその瓢箪、これよりお前の馬印とせよ」
「な、なんと。そ、それはつまり」
「そうじゃ。本日より足軽大将ではなく、織田軍の将として、末席に座れ」
「な、なんと、なんと、なんと」
藤吉郎は涙を流しながら頭を畳に擦り付けたが、すぐに飛び上がって喜んだ。その姿に信長は声を上げて笑いながら
「藤吉、儂はまだここにおるぞ」
「あ、も、申し訳ありません、つい嬉しさのあまり、つい」
「はは、かまわん、戯言じゃ。嬉しいときは嬉しいと、身体全部で喜ぶほうが良い。儂はお前のそういうところを愛しておる。しかし藤吉、これからはお前も将の末席に座る。緒を締めていけ」
「はいッ」
藤吉郎は広間の壁が崩れそうなほどの大声で返事をし、喜び廻った。
「では藤吉、せっかく城へ登ってきたんじゃ。呑んでいけ。よしせっかくだ、又左衛門も呼んでやれ」
信長はそう言って前田又左衛門も呼び、三人で酒を酌み交わし、藤吉郎の出世を祝ってやった。
藤吉郎はこの後、戦功を上げるたびに瓢箪を一つずつ増やしていった。晩年、最高権力者となる豊臣秀吉となっても、この時に信長から許しを得た瓢箪を、ずっとずっと大切に馬印として使い続けた。これを千成瓢箪と呼び、今でも大阪や秀吉ゆかりの滋賀県長浜などでシンボルとして大切に使用されている。
つづく。
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