「千円先輩」(1999)
イ講堂への道すがら、法学部の同期と合流するまでのことだったから、おそらく1999年秋か2000年1月のことだったと思う。なぜならば、筆者がスヴェトラーノフ指揮ゴスオケ演奏の「ラフマニノフ交響曲管弦楽全集(1995年録音)」を聞き込んだ後のことだったから、1999秋以降のことだ。大学構内からラフマニノフ『交響的舞曲』のフレーズが聞こえてきた。
「お。ラフマニノフの交響的舞曲やな」
筆者の一言に、一緒に歩いていた同期の頭上に、一斉にクエスチョンマークがともる。スヴェトラーノフ普及促進委員会のメンバーとして(非公式)大学内で普及と啓蒙活動にいそしんでいた筆者の周囲では、カラヤンや小澤征爾をしのいで、エフゲニー・スヴェトラーノフの名前が広がっていた。
「吹奏楽部に高校の同級生がおるから、尋ねてくるわ」
こういって、一人が隊伍から抜けた。
後刻、イ講堂の最前列に、抜けた同期に伴われて一人の女子大生がきた。
「ラフマニノフ!交響的舞曲!!よく知っているね!」
「CANYONから出ているスヴェトラーノフ指揮『ラフマニノフ全集』聞いているよ。『交響曲第2番』がスゴいらしいけど、俺は、『カプリッチョ・ボヘミアン』が好きや。収録曲の中ではマイナーらしいけど。あと、『交響曲第1番』のふっとんだ演奏を夜に流したら親に『うるさい』って怒られた」
「すごい!」
筆者は実家(一戸建て)である。クラシック音楽といえば、カトちゃんみたいに上品なイメージを持たれているようだが(Blu-ray番外編)、大学生になって実家住まいの親に怒られるといえば、クラシック音楽の騒音だ。
彼女がいないぜオーラ満開の俺たちは、男子占有率100%。法学部の同級生のうち40%は女子なのだが、それも「勉強熱心で講義では最前列に座るまじめな学生」といえば、当時のイメージでいえば優秀な女子学生のイメージで語られることが多かった時代なのだが、俺たちは、講義目的で最前列に陣取り、講義終了後には教官に質問するところまでセットだったのだが、独特の寄せ付けなさを放っていたのだとうなと今にして思う。
「反知性主義」なるものが今日では人口に膾炙するようになっているが、1999年は「大学生は遊ぶのが本義」ということが露骨に語られていて、勉強好きはどこか居心地の悪さを感じる、そんな時代だった。
筆者が、彼女と何を話したのか覚えていない。
「入学式の日は、スヴェトラーノフ指揮、チャイコフスキー『交響曲第4番』(1993年録音)を朝イチに聴いてから家を出た」
「同志社大学法学部の受験の時には、放出(はなてん)から学研都市線の快速に乗って、スヴェトラーノフ指揮、チャイコフスキー『マンフレッド交響曲』(1992年録音)の第4楽章を何度も聴いてテンションをあげまくっていた」
「合格発表後にもらったお小遣いで、スヴェトラーノフ指揮、チャイコフスキー『交響曲全集』(1993年録音)を買って、『交響曲第1番』にハマった」
「スヴェトラーノフ指揮、チャイコフスキー『交響曲全集』(1990年東京ライヴ、バラ売り)が、入手困難。中古レコード店をめぐってオレンジの帯を探している」
立て板に水のごとく、そんな「愛」を叫び続けていたと思う。
講義が始まった頃、筆者の財布からは、千円札が減っていた。当時の肖像画は、野口英世ではなく、夏目漱石。3年間浪人して東大に落ちた岸田首相には負けるが、筆者は1年浪人しているので、おそらく現役合格の彼女より「先輩」だ。筆者が、「千円先輩」になったのはあの時である(Blu-ray特典)。ラフマニノフ舞曲第3楽章の、弦楽ではなくフルートの合奏の印象は耳の奥に残っている。
↓拙著。いわゆる「公安のスパイ」をやっていました(2006-2018)。
一言に「公安」といっても、筆者が関わっていたのは、「外事」です。
とはいっても、47都道府警警察で「売上」を競っていた側面も。