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H3ロケット発射の"不適合"について~"継続的改善"が大事~

 昨今のH3ロケット打ち上げとその周辺に関する話題を見聞きして、なんとなく感じることあったので、以下に徒然なるままに書いておく。超個人的な感覚なので悪しからずご了承のうえ、お読み進めください。

 一連の件に関する周囲の反応において、「いやしくも技術立国を目指す日本において"有能"な(理系)人材が不足している」といった感じで、"有能"とか"無能"とかいう言葉が悪目立ちしているような気がしたのである。
 理系、文系限らず、最初から"有能"という状態があると思っているのか、"有能"でないとできない或いは無から有を産み出すようなことができなければならないとでも思ってるのか、"有能"とくくられる人材だけが足りていない印象を受ける表現が巷に目立つように思えた。なんか、一昔前の"勝ち組"、"負け組"という表現と全く同じ臭いがする。島国日本の民に特有なのか、何かと切り分け、我彼の境界線をつけて煽るタイプの何処かの誰かの偏向のようにも思えてしまう。

 より近い場所(現場)でより近い人たちからのより生々しい情報・技術を見聞し、様々な出来事に実際に巻き込まれ、それらに対応するという経験ができるか、それをどれだけ長く蓄積(input)し続け、それらに基き、より洗練された表現(output)をし続けていくことができるか、ということのほうがよっぽど重要かつ貴重だと思う。これって要するに、みんなの大好きな、"不適合に対する継続的改善"なのであるが。。。

 携わる人の"数"で言えば、確かに多ければ多いほど個性の広がりもあり、可能性が広がると思うが、まあ、ここで日本の就学のあり方や雇用形態だの賃金体系だのまで言及する気はないので(モヤモヤはするけど)、スルーしておく。

 なんか本当に徒然なるままになってしまったが、何が言いたかったかというと、そういう意味では、今回のH3ロケット発射の"不適合"は、想い通りの結果にならず残念ではあり、よっぽどマゾい人でなければ泣きたくなる場面でもあっただろう。とはいえ、とても貴重な成長の場(ド〇クエに例えるとメタルキ〇グに遭遇したような?)を得られたのであるから、気持ちを切り替えて精進(継続的改善)を続けてほしいと願うところである。
 
以上、なんだか、全くの他人ごとを上から目線で言ってるようになってしまいましたが、もちろん、私自身もそうあり続けたいと思う次第であります!

最後までお読みくださった、ある意味、奇特な貴方、
誠に誠にありがとうございました m(_ _)m


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