9月下旬 はじめに言葉があった


現代詩作マニュアル詩の森に踏み込むために 野村喜和夫

”詩を読む人のために”に引き続き、詩の入門書。
こちらは書かれた年代が新しく、取り上げる詩も全て現代詩だった。ネットでの詩の在り方についても言及がある。

はじめに、現代詩とは戦後詩であるとしたうえで歴史を紐解きながら思想の流れを追う。
電車の中でぼんやり読んでいたのだが、鮎川信夫の”死んだ男”が引用されており思わず泣きそうになった。

死んだ男   鮎川信夫

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。
遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も形もない?」
――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった
Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……
いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。
埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった。
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

「鮎川信夫詩集」(昭和三〇(一九五五)年荒地出版社刊)より

Mとは鮎川の詩友で、太平洋戦争で戦死してしまったそうだ。
鍵かっこの部分がMの言葉だろう。この遺言を執行することが詩の行為だと著者は解釈している。

短かかった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――

「鮎川信夫詩集」(昭和三〇(一九五五)年荒地出版社刊)より

石原慎太郎氏の亡くなった時と同じ悲しみがやってきた。詩人や小説家が死の淵に立つとき、どのような景色を見たのか。

後半では詩の原理をまとめており、詩とは世界の捉え直しだとしたうえで比喩を取り上げて説明している。この内容は詩学というよりレトリックに近いが、かなり論理的に面白かったので別の記事にまとめたい。

文章読本 三島由紀夫

結構好きな小説家 三島由紀夫の文章読本をとうとう読んだ。
氏の哲学を交えながらも、当時の流行と文学史を織り交ぜた中立な評論文といった内容だ。

文章の表面をなぞるように消費する人レクトゥールと、小説を読むことが人生の目的となりうる人リズールという分類を持ち出し、小説を書くにはまずリズールたるべきだという緒言から始まる。

文章の種類ごとに特徴となるポイントを谷崎から翻訳小説までさまざまな引用で解説してくれている。

”美は珍奇に始まり滑稽に終わる”
良い言葉だ。昭和レトロや平成レトロなど、トレンドのリバイバル現象があるが、これはトレンドを担う世代交代がきっかけだろうか?というかトレンドの境界をまたぐ人種は年老いたときどのトレンドに落ち着くのだろうか。

”地の文と会話文の割合について。地の文はゆっくりとたわむ波であり、その波が崩れて溢れる泡が会話文だ”
これ想像してみたら、たしかに名文っぽいかもしれない。

 店中で絶えずグラスのぶつかる音が聞こえていた。見つめあっているのに、どちらも口を開けずにいる。どこを向いても甲高い談笑で満ちていた。身振り手振りでお喋りする人たちの中、2人はじっと縮こまり身じろぎ一つしない。
「友達に戻ろうか」
不自然なほど間を置いた後、わかったと返事をする。時間はいくらでもあったのに、本当は何も考えていなかった。

超探偵事件簿 レインコード

ダンガンロンパの1,2をやって面白かったので、やってみた。
システムの単調さ・謎解きの一本道感は否めないし、switchでやっているせいでロードが重かったりもする。
でもそれ以外の造形、シナリオ、セリフ回し、ミステリ脚本は素晴らしい出来だと思う。

とにかくやりとりが面白い。自由行動が作業ゲーでムービーが面白いゲームなんてあるんだ!って感じ。
ダンガンロンパも似たような印象だったが、あちらは自由行動中に好感度イベントとガチャ要素でなんとかなってたかもしれない。(不要っちゃ不要な要素だけど)

ダンロンv3は積んじゃってるのでぜひやりたいな

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