10月上旬 退屈そうなseason 2

大学に復学したyo。まだ1週間しか経ってない状況で大口を叩きます。
大学は簡単です。絶対卒業できる気がする。やっぱり終わりが見えているのは精神衛生上良いね👍
毎日あほみたいに忙しいけど俺はゲーマー気質だから難易度の高い生活に燃えるぜ^^


イッツ・オンリー・トーク 絲山秋子

著者のデビュー作である表題作と、第七障害の2作を収録した文庫本。

私は表題作から新しい男女の描き方を学んだ。
異性・同性かかわらず恋愛に接した人生を送っていると、男/女ならではの特質について考えることがままある。男らしさ、女らしさとは何だろう。

一瞬、話を逸らす。日本語では女々しい・男らしいというワードが長期にわたって使われてきた。人間にとって、言葉と世界は相互にフィードバックしながら影響しあうため、一度こうした言葉が生まれると人の価値観が変わる。
女々しいという言葉が内包する特徴は何だろうか?些末なことを気にしすぎる性格、嫉妬深く臆病な性格などなど…現代を生きる人なら、これらが女性の特徴でないことがおわかりだろう。

イッツ・オンリー・トークに出てくるのはドライでたくましい女性と、欠点をもった男たちだ。男どもには全員可愛げがある。(痴漢は別)

私には主人公の生き方が自然に映った。自らのことを、誰とでもセックスしてしまうと説明する。しかし彼女の持つクールでおしとやかな本性が放蕩を忌避しているように見えた。後半、痴漢との一幕で父親というキーワードが出てきた。やはり、子に父は必須なのだろうか?

男からの恋愛/性的対象になる才能を持った人間に生まれると、男は絶えずやってくる。それを拒まない人間は淫乱とされる。

責任転嫁。なんだかこの世の全てこれが原因な気がしてきた。
気持ちは分かるけどね。己の非を突然指摘されて責任転嫁する人は、むしろ自己肯定感が低いと思う。きっと悪の本質は弱者だ。悪の更生は弱者救済の理論で開かれるだろうか。


吉祥寺の朝日奈くん 中田永一

中田永一?聞いたことないな…
それはさておき私は乙一という作家の大ファンだ。
先生の著作はほとんど読んだ。叙述トリックを駆使した面白いアイディア短編が多く、外れなく面白い。私の中では勝手に、善の筒井康隆だと思っている。(筒井康隆が悪かどうかは言及しない)
あとがきにちょくちょく書いていることだが、乙一先生の出身は高専(工業高等専門学校)だそうだ。そして私が尊敬する叙述トリックオモシロ作家の殊能将之先生は大学で理学部に通っていたらしい。

もしかして理系の人間って叙述トリック大好きなのでは?
叙述トリックって、システムを使って読者にインパクトを与えるエンタメ装置だと思う。
私も実は工業高校→工業大学という経歴なのだが、モノづくりをするときのモチベは使用者のリアクションだった。
もちろん、原理を勉強して既存の技術をどう組み合わせるのかというパズル的な面白さもあるだろうけど、これも叙述トリックに共通してるよね。

吉祥寺の朝日奈君の感想に入る。
すっげー心が洗われた。恋愛小説なんていつぶりに読んだだろう。最後に読んだのは川端康成の「少年」と三島由紀夫の「仮面の告白」だ。男色に特別のものとして、社会からの正式な要請・正の圧力などと無縁という性質がある。
しかし男女の恋愛となると、意外と法的なシガラミ、固定観念のシガラミが多いことに気付いた。
異性同士が仲良くしていると、他人からは勝手に恋愛関係を推測される。既婚の男女が同じ部屋に入ると、法的に不貞行為の証拠として扱われる。
その点、同性同士で仲睦まじくしていても外部からは全く判断がつかない。同性愛者であることを茶化されることは、近年タブーとなってきたから心配ない。つまりどちらともとれる状況。境界線に陣取ることができる非常に強い状態だ。

男女となるとそうはいかない。一切の言い訳が効かないのだ。特に男女で分かれて群れることがベーシックな集団では、異性に話しかけることには理由が必要だ。社会的な理由なく異性に話しかけることは、アピールを意味してしまう。一挙手一投足に意味が生じるコミュニケーションは窮屈だろう。濃密ともいえるが、疲れる。

一挙手一投足に意味のある駆け引き、恋愛。それがミステリと相似だということを本著は教えてくれる。
恋愛小説を叙述トリックで描くやり方は著者らしいだろう。読んでいてやっぱりそう思った。

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