chiro

行き場のない文章を、つらつらと載せていきます。エッセイと創作の混在です。

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女子トイレにて

女子トイレでは、いつも父の顔が心をよぎる。 職場の入るオフィスタワー、共有部の女子トイレ。 洗った手を勢いよく振る人。飛沫が鏡に水玉模様をつくる。 パウダーファンデーションを叩き込む人。落ちた粉が台に肌色のまだらをつくる。 手を拭いたペーパータオルは、ゴミ箱の中に入らず回転式の蓋の上に積み重なる。 「それは捨てたんじゃなくて、置いたんだよね?」 * * * 七歳の頃だったか。 洗面所で歯を磨き、顔を洗う。 さっぱりしたと自室に戻ろうとすると、頬がいきなり熱くなり、一瞬視

    • 働く理由について、とりとめもなく思うこと

      「仕事をせずに済むのなら、今すぐにでも会社を辞めたいよね」 隣のデスクの先輩が言った。手入れの行き届いた巻き髪の、美しい女性。 自身の能力は高いのに、女性が働かないことに違和感を持たない人だ。バブル世代だからかもしれない。結婚していた頃、婚家に「専業主婦させてあげられなくて、ごめんなさい」と言われたとのこと。 「レイちゃんは、本当は働かなくとも大丈夫そうなのに…優雅に生きてほしいと思うわ」 私はどういうわけか、こういったイメージを持たれやすい。 実家が裕福だったのは、はる

      • 夜の玄関

        夜、しんとした玄関にひとり座り込む。 その日履いた靴を労う時間だ。 まず、靴底を除菌のウエットティッシュで拭う。 ついでに、三和土も一面拭いておく。 コロナで騒がれるずっと前から、そうしている。 靴のおもての埃をブラシで払い、それぞれに合ったものを布に取って─これはエナメルだから泡、こちらはカーフだからコロニルのクリーム、という具合に─丁寧に、磨いていく。 顔の手入れと同じ。 ヒールが削れかけているのを見付けたら、あぁ、明日会社帰りにミスターミニットのお世話にならない

        • 兄ができた話、あるいは失恋

          白衣の袖から覗く手首、その指に触れたいと思った。 「○○は、置いてありますか?」 自宅近くのドラッグストア、カウンター越しに話しかけた。 「○○は、うちの店ではもともと取り扱いがないんです…すみません」 [薬剤師 トリサワ]と名札を付けた男性が振り返った。 申し訳なさそうにするその顔から視線を外せなくなる。 細い鼻梁、端正な輪郭でともすれば神経質そうにも見えたが、こちらを見る瞳は大きく、優しげであった。 「そうですか、わかりました」 不自然な間が空くのをおそれて、視線を引

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        女子トイレにて

          口紅の先に夢を見る

          化粧品が、大好きだった。 20代は、季節ごとに発売される化粧品の新作を追い続けていた。 百貨店から送られてくる冊子、カウンターからのDMと、美容雑誌──「VoCE」やら「CREA」やら──に隈無く目を通し、付箋を貼り、手帳に発売日を書き留めるのが毎月のルーティンだった。 使用感は、口コミ投稿サイトに都度書き込んだ。 他人から見たらその差など気付かないであろうアイシャドウでも、似たような色を買い揃え「シャネルはラメの煌めきが美しい、ディオールは偏光パールが幻想的、ルナソルは

          口紅の先に夢を見る

          十代、本の記憶

          いつも傍に本があった。 物心つく頃から、自分を取り囲む世界と、自分とのあいだに違和感を覚えていた。 愛情深い母がおり、経済的にもそこそこ恵まれてはいたものの、他所と比較すればエキセントリックな家庭だったことが、それに拍車をかけた。 よくある話かもしれない。 しかし、年端も行かない子供が知るには、酷なことが多すぎたのだ。 耳を両手で塞いで逃げ込む先は、本のなかだった。 最も多く本に触れたのは中学・高校の六年間。その頃の、本に関する想い出を書き出してみる。 中一の夏休み

          十代、本の記憶