エネルギーは補充される
2020年4月25日
おはようございます。4月25日土曜日、今日もradio sufi始めます。
昨日は久々に身体を動かす作業を、今週は、ちょこちょこやってるんですけども、また筋肉肥大病になりそうな勢いですね。苦笑
あの、不思議なんですけどSサイズだったんですけどね。なんか全然太ったわけでもなく、筋肉が増えて服のサイズがアップするっていう不思議現象が起きております。ガタイが良くなっているっていうか。。いいんですけどね、別にね。薄っぺらかったはずなんですけどね。笑
肉体は使えば育つんですねっていう感じで、また筋肉が大きくなっていくのかなっていう感じです。コツコツやると、筋肉も増えると。ジムいかなくても筋肉増えちゃったよっていう不思議現象で、お陰で服が。。
さやちゃんとかが正面から、私の肩の方をよく見てるんですよね。「ん、どうした?」って言うと、「服ちっちゃくない」とかね。なんか肩のところの肉が、筋肉がモリってなるとシャツが上に上がってくるんですよ。なんか80年代の服のように、服が角張っていくという不思議現象が起きてて、「パットは入っていません」みたいな感じになっちゃうんですよね。笑
そんな感じで、また大きくなりそうな勢いがございますわって感じで。
昨日は、夜は観光協会の理事をやらせてもらってて、その理事会があったんですけども。イベント関係はこのコロナ騒ぎで、中富良野町もそうだし、富良野とか近辺の情報がいっぱい入ってくるんですけども、ほぼほぼ中止、夏までは中止っていう感じですね。「わぁっ」と思いながら、こう事実を受け止めなきゃいけないなぁと思いながら。
自分は特に被害がないというか。。それはお客様、musuhiの方は静かですよ、とかあるんですけど。他のところで助けていただいたりとかたくさんあるので、なんかもう生き方が、お金だけを優先で生きてないので、ちゃんと自分の周りは身の丈で回っているなっていう感じがするので。
あまり不安にも思っていなく、健康で、自分の中に恐れ・不安・恐怖あまりないので、世の中のニュースとか見れば、コロナ騒ぎでギャーギャーっていう、本当に大変なことになっているんだけれども。なんかちょっとリアル感が、リアル感っていうのかな、周波数の違いですよね。なんか、合わせようと思えば合わせれるけども、不安・恐怖にね。
まぁ、合わせる必要はないですよね。
自分が持っている今の状態の、もしくはもっと光に強い、光になる波動に周波数を合わせておく方が断然いいし、それが新しい地球の生き方でもありますので、それでいいのかなと思います。
イベントっていうと、うちも、さやちゃんとか、musuhiのメンバーとかとイベントに何回も出てるんですけども、正直あんまり好きじゃないんですよね。
なんでかって言うと、非日常だからです。なんか忙しいんですよイベントの準備って、なんかすごく大変。特に物を作ったり、食べ物を作ったりするとです。そういうイベントじゃないものだったらいいんですけど、たくさん作って、非日常というのが、実はあんまり得意じゃないなぁっていうのが実際にはありますね。
ワーッて楽しいから、たまにはいいんですけどね。なんかもっと意義のあるイベント、物を売る、ただ物質的な豊さを求めるようなイベントとか、人の欲を活性化するようなイベントっていうのはあんまり実は好きになれない。とは言いながら、お誘いを受ければ出店するんですけどね。
そんな中でもイベント自体は選んでます。その主催者が、すごく氣持ちの良い人だったりだとか、すごく頑張っていたりすると、その人たちの応援がしたいっていうのがあったら、「じゃあ出店しますね」っていう。主催者を応援する側の氣持ちがあれば出店するけども、明らかに私利私欲形の、自分たちが良ければいいや「イエーイ」みたいな、そういう主催者のイベントは、実はお断りするようにしているんです。
なんか面白くないしね。あんまり関わらない様にしてきたっていうのは実はあります。
楽しいか楽しくないかっていうのはそういうところ、共感ですよね。
特に私たちのパン、さやちゃんが作るパンなんて
薄利多売なんてことは絶対にできない、めちゃくちゃ時間のかかる、
パン1個作るのに、1週間前から酵母を起こしてとか、
ものすごい手間暇かけるものを、いっぺんに作るって結構大変なことで。
ポンポンポンって投げ売りしたくないっていうのが実はあって、「本当に美味しいね」って言っていただけるように、
心と身体が豊かになるような方向に行くものをやりたいな
ってずっと思っているので、そこのところの信念みたいなものは曲げないようにしています。
そういうイベントの時って、さやちゃんが一生懸命、朝すごい早い時間から頑張るわけですよ。で、自分は最近はパンのお手伝いはしていないんですけども、そういうイベントの時ぐらい手伝いたいと思うんですけども、「いい、いい」って言われる。
でもね、何もしてないのに異様に疲れるっていう現象がイベントごとに起きるんですよ。私、特に関わっていないのに。
まぁ、他の手伝ってくれるスタッフさん、メンバーさん、もちろんいるんだけども、自分は他の仕事して、肉体的にはそんなに使っていないのに、異様に疲れるっていうことが結構あって、この説明を、ちょっと氣の観点から説明してみようかなと思います。
こういうのは看護、例えば家族の中に病氣の人がいますよ、そういうことにも当てはまってきます。
例えばイベントをします、もうすごいエネルギーをウワッと使うわけです。その人の有限のエネルギーを。そうすると、足りなくなっちゃうわけですよ。使えばなくなるんです、有限のエネルギーは。でも疲れていたら作業が進まないでしょ。
そうすると、周りの方から引っ張ってくるんです。
私、氣の貯蔵庫みたいな人なので、「あ、どうぞー」って知らぬ間に。これは止めることはできません。エネルギーは多いところから少ないところへ、高いところから低いところへ流れるのが普通です、水の流れとまったく一緒なんです。
だから、足りなくなったものを補填するかのようにエネルギーがシューッと、引っ張られていくんです。それで、エネルギーをもらった相手は、そんなに寝てないのに、なんでそんなに元氣なのってぐらい元氣なんです。でも、私何もしてないのに、めちゃくちゃ疲れてるっていう、そういうことがよくあるんです。
だから、そういうことをやっていくと、「あぁ、ただ生きてるだけでも人のためになってるんだなぁ、エネルギーさえ高めておけば」って、これ条件付きね。
あの、思うんですよね。反対のことで言うと、私貯蔵庫でもなんでもなくて、例えばゴミ箱みたいな人だったとしたら、そのゴミもあげちゃったり。ゴミ箱の人はエネルギーないから、人から奪うんですけど。
良いエネルギーを貯めておけば、ただ、そこに座っているだけで、いわゆるパワースポットですね。
歩くパワースポット、座るパワースポットみたいな感じになるんです。
こういう経験したことないですかね。例えばなんかみんなの集まりが、「わぁ、楽しいねぇ」とかあったとして、そこにフッと入ってきた人を見て「わぁ、なんとかさん」って明るい氣持ちになる人と、「わぁ、なんとかさん来た、ウェ」みたいに、ちょっと嫌な氣持ち、心がキュッと閉じる様な氣持ちになるっていうタイプ、色々いると思うんですけども。
それもエネルギーで説明をすると、「わぁ、なんとかさん」って喜びの人っていうのはエネルギーを与えてくれる人です。そして、明るくて太陽のような感じのエネルギーを持っています。だから、その人が来ただけで、そこの場を明るくしてくれたりだとか、エネルギーを補充してくれたりするんです。
自分の中にも、もらえるかもしれないし、その環境にもらえるかもしれない、そういう人を普通、人は好きになるんですね。恋愛的な好き嫌いとはちょっと別ですよ。
「あの人、いい人だよね」っていうのは、大体その人からエネルギーをもらっている証拠です。
その反対、「ウワッなんか来た」みたいな、そういう人になっちゃってる人もいるよね。それはもう、来た瞬間にエネルギーを吸い取っていく人です。
いわゆるエネルギーヴァンパイア。
もう不浄が溜まりまくっていたりだとか、本当に疲れ切って枯渇している状態。そういう人が来ると、「ウワッ来た」って言って身体に力が入るはずです、筋肉に、無意識なところで。
あったかい温泉行ったらフワーって緩む、寒いとギュッと力入るでしょ、そういう感じで、そういう人が来ると身体にギュッと力が入るはずです。
それは、自分を守っているんです。これ以上はエネルギーをみんなもあげたくないでしょうから。貯蔵庫になれてない人であれば、「ん、ちょっと吸われたら困るわ」ってみんな思ってるわけですから、やっぱり自然と。
これ自然現象です。
心とか氣持ちとか性格とかそういうことじゃなくて、自然の流れです。みなさんが持っている有限のエネルギーは、限られてますから。ただ、日常から常に無限のエネルギーを自分の中に取り込んで補充できてる人は、いくら吸われても、流れていっちゃうわけですから、エネルギー高い人は勝手に。だから、いつでも補充してないと自分やられちゃうんですよ。
なので、エネルギー高めたら高めたなりに大変で、
修行は永遠に続くんです。
それは、自分を守るためでもあるっていうことです。あとは、病院とか看護の介護とか、介護もそうですね。そういう家族の中で誰かがひとり病氣になっちゃったよ、入院しちゃったよっていうと、看護疲れって聞いたことあると思いますけども、
寝ている本人よりも面倒看ている家族の方が疲弊していくんですよね。
あれも、もうエネルギーをいっぱい使っちゃうんです。病氣の人はエネルギーがないですから、欲しいわけですよ。だから側にいる家族にどうしても頼ってしまう。でも、本人に自覚はないんです。エネルギーを吸ってる自覚なんて一切ないですよ。だから、もちろん罪はないです。
ただ自然の流れとして、ない人にはある人から流れていく。それが近い人、親族だったりパートナーだったり、子供だったり親だったり。そういうところから流れていきます。
これ、距離は関係ないです。
地球の裏側にいたって、そういうことは普通に起きます。「なんか今日すごく疲れてるなぁ、氣持ち悪いなぁ」とかいう時、家族に電話してみるといいですよ。「ねぇ、今日ちょっと具合悪くない?」とか「調子悪いんじゃない?」って言ったら、「なんでわかったの」って言われると思います。
そういうふうにエネルギーで見ると、本当に繋がっていますので、
目に見えてる距離なんていうのはまったく関係ないです。
だからそういう状況って、いつでも誰にでも起こり得ると思うので、無限のエネルギーを取り込むということを日常から。
勉強するだけじゃダメですよ、実践をたくさんたくさん重ねて、昨日ラジオでお話をしたように、人格を高めれば体内のレイキは自ずと強くなるということだから、精神性の修行を本当に。どんな場面でもできるわけですから、やるのが、自分を守るためでもあるよっていう。
この世界に入ったら、どんどん高めるしかないんです。そういうふうに日々過ごしていく。それで、有事の時に役立つわけですよ。日常は、なんかつまんないことやってるなとか、「修行だってプーっ」とか言われるかもしれないけど、有事の時に「ほら見たことか」という感じで、
一番役に立つ人になれると思います。
そうじゃなくたって、有事じゃなくたって、めちゃくちゃ役に立っていると思いますよ。「いや友達いないし」とか、例えば「家族と一緒に住んでないし」とかいるかもしれないけど、繋がっていない人はどこにもいません。
100人いたら100人繋がってますから。だから、ひとりひとりが幸せになる、健康になるっていうことは、その100人のためになるわけですよね。
あれですよ、英語あまり得意じゃないですけど、
“All for one. One for all.”
ってやつですよね。
これは家族でもいいし、チームでもいいし、会社のメンバーでもいいし、もう大きく見たら地球全体、宇宙全体っていう感じになっていくわけですよね。
そういった意味で、まずは自分が健康を取り戻して、自分のあるがままを取り戻すって生き方をお勧めしています。そうすることが本当に繋がっている人たちのためになるよ、与えることになるよっていうことなんですよね。エネルギー的に見ればです。
反対に自分が具合が悪い、落ちている、落ち込んでいるとか、不安・恐怖でいっぱいよなんて言ったらもうエネルギーをガツガツ吸っていますからね。本人に自覚はないでしょうけども、敏感に感じ取れる人は「あ、始まったな」って、思いますよやっぱりね。
そうならないように、そう思われるの嫌じゃないですか。「あぁ、エネルギーもらってありがたいなぁ」って思われる人に100人がなったら、すごい豊かな地球になっちゃうんだよね。そういうのを目指していきませんかって、私はいつもお勧めしております。
じゃあ、今日一日レッスンしましょうか。
自分の健康に対して、
どんなふうに過ごせば、一日エネルギーが満タンでいられるかなとか、
もしお勉強とか、レッスンしてる人は、100%、120%のエネルギーを自分の中に溜め込んでおく。
そしたら、20%人に渡せる。
「え、渡し損じゃない」とか思わないでくださいね。何度も言ってるように、与えたものは必ず自分に返ってくるという法則が働きますので、あげたら損するなんて思わない方がいいですよ。損するって思ったら、そこでエネルギーストップして、その人永遠に豊かにはなれません、心も、物質的にもということです。
よく、お釈迦様の話ありますよね。「托鉢をしてきなさい」と。お坊さん、お弟子さんたちにこう、ブッダは言うわけです。「今日の托鉢は貧しい家を回ってください」と。
するとお弟子さんが、「え、托鉢いただくんですから、貧しい家じゃなくて、金持ちの家に行くんじゃないんですか」とブッダに質問しました。「いいえ、そうではありません。貧しいということは、その人がエネルギーを出していない」要するにお金でもいいんですけども、
「与えていないから、その人のところに返ってきていないことによる貧困、貧しさですよ。だから、托鉢に行って、100円でも1円でもいいから出させなさい」と、「そうすることがその人の幸せ、豊かさに繋がるんですよ」というブッダの教えですね。
だから、自分って、自分ばっかりって思う人いるじゃないですか、どんな面でもです。お金でもいいし、人間関係でもいいし、なんか損をしたって言っている人。すごく、私そういう人見ると恥ずかしいなって思う。
「自分は何もしていない、奪うばっかりです」
って聞こえるんです、その言葉の後ろからね。
だから、そういうことですよね。「貧しいんです。」「自分ばっかり嫌な思いするんだ。」とか「マイナスくじ引くんだ。」とか言う人いると思うんですけど、それは、
それはあなたの過去の結果でしょっていう話です。
過去に、人からもらうばっかり、与えてもらうばっかり、与えることなんて微塵も考えてないから、今、そういう状態なんでしょ、
です。
だから、「なんか辛いわ」とか、「なんかうまくいかないわ」とか、そういう人がいたら、ブッダは、そういう人から托鉢をしてもらいなさいと。それがその人の幸せに繋がります。ということで、お坊さんたちにお話をして、托鉢はそう人のところに回るっていう。
豊かな人っていうのは、もうすでにお寺にたくさん寄付をしているはずなんですよ。大体どこの国もそうだと思いますよ。日本はそういう、もう托鉢とかやってるお坊さんいらっしゃらない、あまりいないみたいですけども、昔はいたと思いますが。今のお坊さんたちはどうなんでしょうかね。戒名とか、檀家制度でお墓の管理料をもらったり、どうなんでしょうか。うん、お任せします。答えは、あまり言いたくないですね。
まぁ、そんな感じで、
何が与えられるかなとか、今日一日自分らしく生きるにはどうしたらいいかな、毎日そんなことを考えながら、日々を大切に過ごして欲しいなと思います。
それでは今日も良い一日を。