ゴールを目的にしない生き方
おはようございます。6月18日木曜日。今日もRadio sufi始めます。
はい、今日はですね、
なんと実技と。
と、突然ですいません。。(笑)
今、介護の学校に行っていて。初めて聞かれた方は、何の話って話なんですけども。まあ色んな業務をやる中で、次なる新しい展開とういうことで。今年始めぐらいですね(本当にコロナが始まる前ですね。)
まあ突如として介護の学校に行きたいんで、と皆に言ったんですよ。
そしたらみんなも行く!!
ってなって、(驚!)
4人でね、行くことになったという流れでです。
コロナがあって、ちょっと1か月半ぐらいお休みになっちゃった所で、今日はですね、実技と実技のテストがあるという日なんです。
朝早く目が覚めましたね。夜寝たのは遅いんです。昨日の午後はお勉強の時間といって、いわゆる半ドンというやつでね。皆、明日テストの皆はお休みという形になったんですけど。
半日もあったらですね、やりたい事がいっぱいあるわけですよ。結局お勉強しーよおっと、できるなと思ったのが夜の7時半という感じでね。違うか。
9時だね、9時でした、ご飯食べたから。笑
結局12時ぐらいまで、とりあえずテキストを読み込んで。まあ、大丈夫でしょと。笑 1か月半のブランクは結構かなり大変かなと思いつつも。まあ、いけるでしょ。高を括ってはいけないのですけれどもね。まあ緊張せずに、精一杯のことをやれればいいのかなと思います。
よくね、これねテスト受かるか受からないかの言い訳けではないんですけども。生き方そのものについても、こういうのって皆経験することじゃないかなと思うんですけど。
ゴールが目的じゃないよっていうのは、覚えておいたほうがいいかなと思います。
例えば今回の場合でいうと、
試験に合格するということが、私の正しい道かどうかは分からないんですよね。
受かる事が正解というのは、よくあるその受験とかね、ありますよね。一生懸命受験勉強しているんだから受かるのは当然だし、受かるのが目的だと思うじゃないですか。
でも、そういう生き方をしていると道を外すことがあります。
そういう結果とういうのは、天に任せるものです。
運命とかね。
なぜならば、一生懸命受からなければいけないといって、受かったことで大事なものを見失う可能性もあるんです。
というのは、どういうことかっていうと、もしねそこで落ちた事によって、遮二無二勉強してきたけれども実は盲目になっていただけで、本当にやりたい事はそっちの道じゃなかったという時だってあると思うんですよ。
そうすると、魂さんね。魂のね、まあイコール宇宙ですけれども。
決定権はね、いわゆる自分の魂が生まれてくるときに持ってきた青写真にあるわけですから。
周りとか社会にながされて、これが正しい・これが成功だ・これがゴールだといって頑張ってしまったことが、実は自分の道からそれてるということだって、無きにしも非ずということです。
だからね落ちたことによって、あー落ちちゃったと言って例えば浪人して1年間、勉強したりバイトしたりするわけですよね、きっとね。
すると、その間にしか出会えなかった人とか、経験というものがその1年に詰まっているわけじゃないですか。
実はそこがターニングポイントで、自分というものに目覚めさせてくれて、自分の本来の道に進むきっかけになれた。
なぜか?受験に落ちたからということです。
だから、いわゆる世間の成功とか目的やゴールだとかね、そういうものに翻弄されてはいけないよっていうことです。
念を人間は誰でも持っているから、それを達成させる事は誰でもできるんです。だいたいね。
ネガティブな、自分はダメかもパターンが頭の中潜在意識の中に入っていない人以外は、自分が決めたことはしっかりとやれると思います。
だけれども、それを“ねばならぬ”で進んでしまうと、大事な事に気づけなくなることもあります。
だから、なんていうのかな。何が大事か。まあ例えば受験の話でいけば、
受かる事が目的じゃないよ。それが達成のゴールじゃないんです。
なにが大事か、それまでの過程じゃないですか。
受かるも八卦、受からぬも八卦。そんな言葉なかったかな。ちょっと違うよね。だけどまあ、それは、当たるも八卦だね。だけど、言い換えればそういう感じです。それは天や運にまかせる、イコール自分の青写真の通りの事しか起きないわけですから。
受かる受からないが大事な事ではなくて、それまでの過程が大事ということです。
落ちたことによって、違う道に開ける日、違う道が開けるという事だって絶対あります。
落ちたからといって、しょげることはないわけですよね。本来の自分の魂の道に氣付けるきっかけを貰ったと言ってその現象に感謝をすれば、自分の輝ける魂の道にいけます。
そのためには、そういう脱落感というか。もうしょうがねえな自分、と思う時が必要なわけです。
そうじゃなければ、なにもなければ、方向転換できないですから。
これがね、いいやと思って進んでしまうわけですよね。いいはずだと思って。結構人間って頭がよろしくないんですよね。
魂とか宇宙の流れ、青写真に比べたら人間が健在意識とか、いわゆる社会の価値観だとか、自分が培ってきてしまった価値観で生きていると、意外と間違ってますね。笑
だけど、間違っているからといって何も行動しないというのは、間違いです。
それこそ間違いなんですよね。経験や実践を通して、失敗した、成功した。なんでもいいんですけども、そういう経験を通して次に進むという事がとても大事になってきますので。
失敗を恐れてはいけないし、躊躇してはいけないと思います。
例えそれが、自分が違うのかなと思った道だとしても、進むという事は大事です。
その先で、自分が何を経験するかというのがとっても大事な事なんです。
自分で氣づかなければ、いけないわけです。
自分の道にね。
そして人のせいにするじゃないじゃないですか。あなたこうしなさいよ、と言われたら。そっか、言われたからやるかみたいな感じじゃね。なんか目覚めないです。魂がね。そいういう生き方が大事だよ、ということですね。
例えば昔、エステのフェアに出たんです。東京ビックサイトで、第1回目癒しフェアというのにでたんですよね。
で2回目、3回目まででたのかな。東京にいた時ですね。かなりビックサイトですから、大きいイベントで。芸能界の方とかもなんかこう、ステージに上がっちゃうような。何万人、もっともっといるのかな。すごい癒しがブームになり始めた感じの時です。
2007年とか、06年とか、そのあたりでしょうかね。で、出展料高いんですよ。ああいう大きいイベントってね。たぶん1ブース30万円だったかな。サロンも立ち上げたばかりの、この平平凡凡の私がですね。30万もかけて、元が取れるかとか考えるわけですよね。
かけるだけの価値はあるのかって、やっぱちょっと考えました。。
その当時ね。
でも、出たいな~と。失敗しても、まぁ赤字であろうと黒字であろうと、トントンであろうと。出ることが大事かなって、なんとなくその時思ったので。
結果はどっちでもいいやと、思ってイベントに臨むわけですね。
で、心の中ではこういう風に考えるわけです。
黒字になること、又はトントンになることをゴールとしてはいけない。
と。
じゃあ何を目的にするかというと、
その当日自分の力を精一杯出し切ってイベントの1日をね。2日間あったかな。2日間を何事もなく無事に、楽しく終わらせること。
これが私の目的になったんです。
だから、お金の事は一切考えないです。
で、どうなったかとう話ですね。やっぱりその癒し業界といっても、ビジネスの人達も沢山いますから。ビジネス目的のね。なんかこう、お客様の顔を諭吉か何かと思ってますよね(笑)っていう癒しブースも沢山あるわけですよ。
癒しと諭吉さんって、どうなんだろうってちょっと思ったりもするわけです。。
ただこの世の中ねこの社会はお金がないと、なかなか出店もできないわけですから。そこも大事なんですけども。
目的が稼いでやるぞ、売り上げてやるぞという人達も沢山いたという感じです。で私はそういうのは、目で見て。目というのは第三の目ですけども、わかるので。
あ、この人はいわゆる稼ぎが目的だなっていう風に、わかるわけですね。
いくら癒しのブースを作りこんでいて、癒しの顔をしていてもですね。その仮面の裏が見えてしまうので。
ほうほう、なるほど、と。
別にそれが良いとか悪いとかいってないですよ。そういう人なんだなぁと。でこう客観的にこうバーッと見てると、そううい人達のブースっていうのは何か、敬遠されてる感じがすごくあって。あんまりお客様が入ってなかったなっていうのは、ありました。
あー面白いもんだなって。癒しを求めてるお客さん達は、何かやっぱり心がやっぱりね、癒されていないということですから。
敏感体質なはずなんです。
だから、そういうのってきっと何かわかるんじゃないかなっていう氣もします。
当時の話です。ただ、癒しの業界が始まった、ブームがはじまったころって、癒しに興味がある人っていうのは、本当に本質を求めてる人達が多くて。それ以降世の中に癒しがわーっとね、ポピュラーに一般に広がったとたんに、そういうのは感じられない。ちょっと流行っているからやろうぜ、という人達も沢山でてきているので、ちょっとその当時の感覚とは違うかなとは思うんですが。
私の所はどうだったかとういと、もうなんかもう考えないで、結果をね考えないで。その本当にどういう状態でイベントを過ごすか。精一杯自分の力を出し切って、楽しくやるよって。
その当時手伝ってくれた人達も何人もいたので。一緒にね、チームになって一緒に楽しもうねっていう感じ。
楽しむっていうのは、お客様のために精一杯何かを施すということの話ですよ。
それが楽しむと思えなければ、癒し業界で仕事はできませんので。
与える人っていう感じの人じゃなければ、いわゆる成功というものはないと思います。
癒しの業界ではね。
で、まあ他の業界もそうかもしれない、今のこれからの世の中特にね。
はいそれで、もうお客様がひっきりなしに来てくれるわけです。特になんていうの、そんなブース借りただけで、沢山デコレーションできるわけじゃないんですよ、資金的にね。
もうポスター1枚とテーブルと、清潔感のある状態を作っただけみたいな感じの場所でね。なぜか人が寄ってきてくれる。
で、最終的に楽しく精一杯やれたねって、じゃあ売上計算してみるっていって見たら、トントンでした。
でも私はイベントっていうのは、次のお客様へ繋がるものとずっと考えてきているので。
そこで、売り上げを上げなくてもいいんですよね。
まあこれはその、ビジネス的な話になっちゃうのかもわからないけども。そのサロンを運営していく、宣伝の場所だと考えています、イベント出店というのは。
だからそこでいかに、精一杯やらせてもらえたかっていう事がお客様に伝わったら、必ずその後サロンに来て頂けるっていう風に思っているので。
一人一人のお客様を本当に大事にして。
ワーってね、人がワシャワシャワシャっている中でもね、対面した時はもうその人だけを見るという感じでやっていたんですよね。
で、まあやっぱりそのお陰で、長くずっとね私達、私の所に来てくれている人達今もいらっしゃるし。
なんか、その後にね続いたなっていうことです。
やっぱりこれが、そこでね30万もかかったんだから取り返してやるぞっていって。要するにギブ&テイク、いつものお話ですよね。与える事とテイクを一緒にそこでやってしまったら、そこで循環が終わっちゃうから。。
沢山施して、後で帰ってきてもらうっていう事を実践していくと、いいのかなって思います。
本当に楽しいイベントだったなっと思います。結果論を、やっぱりやらなくてよかったなって思うんですよね。
そのお金をね目的にしていたら、どうなっていただろうかなっと思うと。
きっとなんかあーあ、とかね。いかなかったわとか、良い思い出残ってないかもしれないし。
そういう気持ちって、お客様に伝わってしまうので。失敗に終わっていたかもしれない、と思ったということですね。
で、今日のテストの話になるんですけれども。過程も何もすみません。お勉強をする時間がなかったので。笑 まあ本当に、受かるも八卦じゃないですけど。
受かるか受からないかは、私が決める事じゃないんです。
精一杯やりました、時間の無い中で出来る限りの事を私はやってるし。
一日授業を受けてる中でも、精一杯やってきたし。なんか思い残すこと、悔いは無いよっていう感じなので。受かっても受からなくても、それは私の青写真が決めた事であり。受け入れるという姿勢でいるんです。
だから、なんかちょっとワクワクしてるわけですよね。 それで、例えばそういう生き方っていうのを考えてみると、例えばこないだちょっとお話した人がいるんですけれども。
例えばねって、過去を振り返ってどう?しっかり生きてきた?っていうお話をちょっとした事がありまして。
例えば皆さん、明日。明日も生きてるって普通に思っているけど、そんな保障何処にもないよって何回も言ってるんですが。
死を目の前にしてね、今ね介護の勉強もしてるから、やっぱりターミナルケアとかの話をしていくと。
何かこう普通に介護の話じゃなくて、私これ普通に生きてる若い人の前でするよなっていう話が、テキストにつまってるわけなんですけども。
まあ死を目の前にしてね、あぁ良い人生だったなって思えるような生き方を。
そんな死を、老人になって初めて氣づくんじゃなくて、若いうちからそういう生き方しようよっていうのを、ずっと言い続けてる。
確かにそれは、私が14歳ぐらいの時に臨死体験をしているから。
死を目前に、いつでも死ねるんだ、死んじゃうんだ。
っていう事を経験してるからっていうのも、もちろんあるとは思うんですけども。まあそういう経験者であるからこそ、人に伝える役目もあるのかなと。
生き返ってきたわけですから、思うんですけども。
どうですかね、皆さん。自分の人生を振り返ってみて、あぁ、もう思い残すことない。人生やり切ったわ。よっしゃってゆうふうに思えますか?っていう人生を送っていてほしいんですよね。
もし、いやちょっと、うーんなんか未練あるな。って思ったら、これいけませんから上に。三次元に留まってしまうので。まだ遅くないから。頑張って。笑
自分の人生を、あぁよし、やりきったな。うんうん、よくやった自分って思えるような毎日を過ごしていきませんか?というお勧めです。
こないだピースガーデンのメンバーにもね、ちょっと聞いてみた。例えば私達、まあ私と一緒に生活して学びを進める中で、どうですかって。
もうなんかこう明日死ぬと思ったら、どう、何かやりきった感ある?生きたなっていう達成感みたいな、何かを達成したわけじゃなくても、生き方そのものだよね。そういう物は、達成感、あぁよくやったよ自分って思って死ねるような気持ちはある?って聞いたら。
こうみんな考えてね、あるって言ってくれたんですね。
じゃあ、うちに来る前の普段の生活があったわけですよね。どう?って言ったら、
うーんどうかなぁみたいな。ないかもっていうふうに言ってましたね。
皆さんもね、そういう生き方してほしいなって思うんです。
なんだろう。苦手な事から逃げないとかね。
すごくそれも大事な事です。だって自分努力して成長するっていう事は、すごく楽しいことですよ。
まあね、マズローの5大欲求じゃないですけども、まずは本当に生理的な欲求ということで、食べる寝るっていう所から、人間の欲求というのは始まっていくんですけども。
ある程度豊な国でね生きてる私達は、もうそこは魂のレベルとしては卒業していい場所だと思うんですよね。
ただ、世の中には沢山色々な人がいるから。いやいやそこには全然行ってないわ私、生理的欲求全然満足していないよっていう人は、まずそこから何か自分の欲求を満たす事をやっていく必要があるのかなと思います。
飛び越える事は出来ないですから、飛び級は無いんですよ、5大欲求の中にね。
まあ同時にやれたらいいかなとは思いますけどね。うちはそういうの目指してる。1,2,3,4,5同時にいこうって。
楽しみもやりながら、そこに成長があって仕事があって、人に対する与えるという事をやっていくと。振り返ると成長しているという状態を作りだしたいので。
Peace Gardenで生きているっていうのは、なんかそういう生き方をね目指しているっていう所はあります。
先伸ばしにしないっていう事ですね。
苦手な物から逃げるっていうのは、今、明日あるかどうかわからない人生の中で、やるかやらないか。先伸ばしにしたら、来世に持ってくの?っていう話ですよね。
もう本当に、こんなもんでいいやってふうに思って生きてたら、そんなもんで終わるわけですよね。
それでいいのかな、自分の人生。
死を目前にして、これでよかったのかな。あぁ満足したわーって言ってね、次の世界へ行きたいじゃないですか。って思うんですね。
別にこれは今介護の勉強をしてるから言ってる話ではなくて、ずっと私は言い続けてる。
なんかそういう介護のテキスト読んでて冷静に見ててね、
なんでこんな所でしか勉強できないのかなって思うわけですよ。
もうちょっと、小学校とかさ。笑
そういう所からお勉強して、こういう事は親が子供に教える事だと思うんですけど、って思っちゃうんですけどね。
なぜその特別な介護という学校でしか、こういうこと学べないのっていうのが、私の大きな疑問です。
だから、まあそう言っててもしょうがないからね。
私に与えられたことは、自分が出来る範囲でそれを伝えられたらなっと思っています。
それでは、そろそろね。行きたいなと、行ってきたいなと思いますので。あの、岩見沢のちえみさん、周波数貸してくれるっていう事だったので。ありがとね。
周波数借りれば、私色んな物引き下ろすことができますので。知らない事も答えられるかなと思っております。ありがとうございます。
それでは皆さんも、今日も良い一日をお過ごしください。それではまた。