見出し画像

音楽への愛とにじさんじ 


(注)このnoteには、1年前の夢追翔に関する自分のnoteを振り返っている部分があります。無理をされずお読みください。



椎名林檎と亀田誠治にとっての音楽 ――前段として

「日本人は楽器がうまい人もいるし、クリエイティブだし、日本特有の温暖湿潤気候によるエンジニアリング技術を海外の人に嫉妬されていたりもする。でも、テレビで流されるのはスゴく滑稽な声の出し方で、幼稚で成熟を許されない歌の世界ばかり。世界に誇れる演奏家や音楽家が、メディアにちゃんとのるための突破口になりたかった。そこから芋蔓式に本物の音楽がそこにもここにもある、っていう状態になることを望んでいた。だけど、ならなかったですね。」(椎名林檎)
(中略)
「アイドルって文化を否定はしないけど」とデビュー当時から語っていたが、彼女のキャリアの周囲には常に『幼稚で成熟を許されない』があり、未熟さを愛でる日本文化があった。デビュー当時の彼女の発言をつぶさに見ると、微かな希望があったように思われるが、2000年代末の音楽産業の状況は、もはやそれ自体を求めるものではなく、体験を売り物にするコト消費へと突入していた。日本のアイドル市場は、未完成でうまくないものを愛でる、世界でも類を見ない文化である。椎名林檎は世界に誇れる音楽家がメディアにのるための突破口になりたかったが、そうは「ならなかった」のだ。

北村 匡平『椎名林檎論 乱調の音楽』

椎名林檎やその師匠にあたる亀田誠治が、同じ時期に流行っていたアイドルであるAKB48に複雑な思いを抱いているのに気付いたのは、緑仙のnoteを書いている時だった。
椎名林檎は楽器がうまい人、自分が得意なものがある人が、歌の上で精一杯頑張って完成を目指すあり方が、握手会のチケットを売り、ほかの体験で売られてしまう状況に彼女は悲しみを覚えていた。
彼女はどうしてもテレビの前で見ていると謎めいた印象が強いけれど、本当に音楽が好きな人なんだろう。それは彼女のインタビューで、マーヴィンゲイやThe Rootsといった黒人音楽や、ドビュッシーといったクラシックまで、ありとあらゆる曲を(テレビでは話さないが)ワクワクしながら話している彼女を見て、ふと音楽好きの友達を思い出した。


EIGHT-JAMに出演した亀田誠治は、CDがグッズの収益で買われる時代になって、音楽そのものの価値がグッズに負けているように見えた時、音楽を本当にやる意味を考え込んだという。
その時に彼は日比谷音楽祭という祭りをやることにした。この音楽祭には、ミスターチルドレンや元AKB48の山本彩さんら、有名なアーティストが集結していたが、ライブチケットは無料だった(クラウドファンディングが資金源)。
ここまでできてしまうのは、亀田さんの人柄があったからだともいう。
しかし、人によっては無茶だと感じるこのプロジェクトをやり通そうとした原点には、ある意味で合理的でないほどの、音楽への愛が感じられる。そして、その音楽の循環を続けていくひとつのかたちとして、日比谷音楽祭を提案したのだと思われる。


私は、流石に亀田さんや椎名さんのように、ここまで音楽であることをこだわりきることが大事とは思わない。何より、AKB48の峯岸さんに起こった事件以後、アイドル側の運営もかなりアイドル本人の主体性を大事にし始めたし、それにすべての人が成熟を必要としているわけでもない。ファッションだって、ビデオだって楽しみの一つだ。そしてJuice=Juiceや亀田誠治さんに曲を書いてもらったアイナジエンドさんのように新しい才能をそこから開花させていく人もいっぱいいた。

ただ、問題は私にとっての問題は、椎名林檎や亀田誠治の発言で、やんわりと嫌がられているものが、グッズを売って収入を得て、かつ「Wonder Neverland」で子どもであることを高らかに歌ったにじさんじと重なって感じられてしまっていたことだった。


King Gnuの常田大希は、アニメ主題歌であるWORKを制作するとき、椎名林檎にじきじきにオファーしに行ったという。椎名林檎が望んだ音楽を突き詰める人たちの世界は、King Gnuや新しい学校のリーダーズというグループたちに引き継がれている。


にじさんじはもうマイナーとは言えない


先日、お隣のホロライブで「方向性の違い」によって、一番有名だったライバーであろう湊あくあが事務所を去ることになった。にじさんじも一期生や二期生から卒業者が出て、そのたびにYahooニュースになるのを目撃するようになった。

にじさんじの良さってなんだろうと言われて、一つ思い浮かぶのは、
「自分の横にいて身近に一緒にゲームをやってくれる友達」感があるのだろう。時に人の悪口タメ口を言ってみたりするのは、ニコニコ生放送の時代の生主を見てみればよくある話で、その気をつかわない関係こそが、コロナを含めてリアルのつながりを絶たれた人にとっては、自分のリアルを離れ、楽しく過ごしているライバーの様子をぼんやりみることができるのは、一種の癒しであり、頼みの綱なのだろう。専門用語では、こうした場所をアジール(聖域・避難所)と呼ぶ。

一方で――にじさんじやホロライブの存在はマックのCMになったりYouTube主催のライブ「YouTubeMusicWeekend」のヘッドライナーにROF-MAOが選ばれるなど、どんどんメジャーなものとなってきた。
私は、すでににじさんじやホロライブーーひいてはVtuberの存在はアンダーカルチャーではなく、ネット上でいろいろな人が議論して愛好するものとなったように感じている。

音楽の目線で言えばこうだ。
以前、オーイシマサヨシが作った『ようこそジャパリパークへ』を平井堅さんがべた褒めする映像がネットでバズったことがある。平井さんはどうも音楽サイトで視聴してひとききぼれしてこの曲を購入したらしい。ジャンルを分け隔てなく、メロディーがよい曲はもれなく聞くという彼の心を、オーイシさんの曲は射止めた。
さらに、数年前からKing Gnuの井口さんや新井さんがクロノワールの放送にやってこられている。とすれば、おそらくもう、にじさんじの曲を聴いていてもおかしくないところまで来ているのだろう。


こうしたことを考えていた時に、特に夢追翔「音楽なんざクソくらえ」という曲に、私が変に感情的になってしまい、noteをそのまま投稿してしまったのが一年前だった。その節は非常に申し訳ありませんでした。
ことのいきさつは、こちらのnoteなどに書いてあるため繰り返さないが、あの時の私の失敗は、素直な感情を怖がって出せず、無理やり強がって語気が強い言葉を使ってしまったことだろう。




音楽はクソと言われて悲しかった。心が痛かった。

素直にそう言えばよかったのだろう。

一年前、自分ができなかったのは、noteという場所が存外人に見られる場所だというのを認識して、怖がっていたからだろう。
東京事変の歴史とか、メジャーにいるアーティストが――たとえ所詮人気稼ぎでやってるように揶揄されても――そこにいる理由を見つけてきた。
そのことが頭をよぎって、それを振り切れずにnoteを書いてしまった。
それが私の弱さだったのだろう。

少し前、にじさんじを離れると書いたnoteを見た友達が夢追翔の新曲を早く聞け、お前のためにあるものだと言ってきた。そのタイトルを見て、私は複雑な気持ちになった。
なぜなら、私が夢追翔の2ndアルバム『拝啓、匣庭の中より』について強い言葉でnoteを書いたときに引用した曲は、OKAMOTO'sの「NO MORE MUSIC」だったからだ。
今の状態で、たとえこのアルバムについてnoteを書いたとしても、また変なことを書いてしまわないか。そんな気持ちでいる。

7年目に入って、にじさんじのライバーの中にも、面白いことを探して離れていった人もいた。アングラでしかできない(上場企業ではできない)ことを探しに行った人がいた。
その裏で、多くのVtuberファンが推し活やVtuber考察をやめて、自分の現実に帰ろうとして帰れず、壊れていく様子も見ている。
そうして、頑張って言葉を書いたとしても、文脈を知らない人の目にさらされれば、理解されることはない。そんな気持ちが今私はぬぐえないでいる。



さいごに ーーライバーの方へ


亀田誠治さんはNornisの曲『Deep Forest』『Transparent Blue』の作詞作曲を担当している。


私個人が滅びるのは、特ににじさんじの人にとって関係のないことだと思う。夢追翔の最新アルバムについて書くかどうかも、私自身が決め切れていない。
だけど、最後にひとつ。

現代における音楽を作ることの良さは、それが数十年後先も同じ形で聞くことができるだろう、ということです。
自分が作った音楽が――今は流行のもの扱いされて、評価されなくても、後に椎名林檎に対する常田さんのように、一音一音の深いところまで聞いてくれる人が現れるかもしれない。

その意味で、音楽は祈り(時に呪い)であり、何十年後にとどけるタイムカプセルなのだと思います。



これから、多くの人たちの目にわたって、私のような変なことを言うやつも出てくると思います。そして、人との別れと出会いが繰り返されるなかで、にじさんじでいる理由、Vtuberでいる理由、時に音楽や演劇、ゲームをやる理由がわからなくなることも、ある。
その時は、どうか、胸に手を当ててその声を静かに聞いてあげてください。
いつかあなたが/あるいは誰かが、今のあなたが頑張っている、苦しんでいることを見守ってくれるだろうと思います。



ミュージシャンたちは、昔の写真を懐かしむような意味を込めて、音源を集めたものを「アルバム」と呼びました。
あなたは、そのアルバムにどのような姿で映ってみたいですか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?