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にじさんじのご意見番・ダブルスタ丼氏は結局、何が言いたかったのか ーー3年目の答え合わせと、その役割の終焉
「にじさんじを1期生デビュー時から見ています。 noteでは一般的なファンのコミュニティでは言えないような考察を載せて行くつもりです。 数字の話やライバー毎の人気の格差などがメインで、前世ネタや身バレ関連は扱わないのでそこは安心してください。 記事の引用、転載等はご自由に。」
五年前、ダブルスタ丼氏という方が「にじさんじライバーに言えない100のこと」という文章でnoteデビューされた。この方は、「非常にふわふわした邪推交じりの言葉」であることを自称しながら、にじさんじライバーの裏の心理を探し、いかににじさんじが戦略的にまずい方向に行っているのかを分析してみた。
その否定的語調が強いながらも、noteの中では芯の通ったその論調は謎の支持を得た。「にじさんじ文化論」シリーズはライバーの男女格差、優しさの罠、ホロライブとの違い、にじさんじの上位ライバーとの下位ライバーの格差など、確かに表で言いづらい話はnoteで確かな支持を得た。
しかし、ある時から「にじさんじ衰退論」というタイトルでnoteを投稿するなど、
ダブルスタ丼氏の否定的語気がマックスに到達したのが、この「最近のにじさんじをつまらないと感じる理由。箱推しが無理になった話。」である。noteの世界でも衝撃の4000いいね越えをたたき出したこの文章は、「にじさんじがいかにつまらないか」を6つの理由から考察している。
このnoteが投稿された一か月後に、月ノ美兎は「とあるポケモントレーナー」の動画を投稿する。
この動画は、いらすとやを使ったnoteをライバー(力一、卯月コウ、樋口楓)が本名を伏せて投稿して、人々がいかにぎっとぎとの考察をポケモン(という虚構の存在)に行っているのを見て、ぷーくすくすと笑うものだった。しかし、残念ながらこのnoteはダブルスタ丼氏のいいね数を超えることができず、そのあと月ノ美兎委員長は一時期失踪の身となった。
時期的に考えて、ダブルスタ丼氏の牽制の意味が大きい動画だっただろう。
ダブルスタドン氏が最後にサロメ嬢に関するnoteを出して3年近い月日が経とうとしている。そのあと、忽然と姿を消した。
強烈な印象を残したダブルスタ丼氏は、結局何が言いたかったのか。
それをこのnoteは考えてみる。
ダブルスタ丼氏の価値観と私の反対意見
基本的に面白いことは不満の裏返しである ーーだから不満があるのは悪いことではない
ダブルスタ丼氏のnoteは基本的に「考察により研ぎ澄まされた不満」をひたすら書き連ねるスタイルを貫いていた。そのため、正直言って、ダブルスタ丼氏本人が何を考え、にじさんじがどうであってほしいかのビジョンが見えない。そのため、どの視点から物を言っているかが(意図的かもしれないが)判らない。
問題は、不満や不公平感というのは「自分がどの立ち位置からそう感じたか」を明白にしないと、扱いが難しいということである。
強いて言えば、この人の理想は以下の通りである。
「月ノ美兎」がにじさんじの登録者順で15位くらいになった世界を見たい。
「文野環」を羨ましそうに語る「月ノ美兎」のその世界での配信が見たい。
(中略)
他の上位ライバーも同様。
「リゼ・ヘルエスタ」は月ノ美兎に憧れてライバーになったが、超える野心まではないだろう。
それ所か、その背中に手が届くようになれば意識してペースを落とすのだろうと思う。
このまま下からのブレイクスルーが起こらなければ上のライバー達も、
どうぞどうぞとトップを譲り合う。
にじさんじで一定以上を目指すことは損でしか無いからだ。
自身の夢のために超える意識、箱の重責を背負う覚悟が見えるのはやはりこれも「本間ひまわり」くらいのもの。
だが一人が超えるだけでは相変わらず二人ともに象徴的存在、矢面の存在で有り続けるだろう。
何より今の内ゲバ体質の強いままで、その場に立ったライバーが無事だとは思えない。
最悪潰される。
これまでと同じ活動が出来なくなる可能性の方が見えている。
誰しも「月ノ美兎」より上を目指して良い、「月ノ美兎」の上を目指したいと思うような環境にならなくては。
今のままでは不可能だ。
この文章からわかることもある。
・ダブルスタ丼氏が、謎の上昇志向を持っていること。集団の中でトップにいくことが大事であると考えていること。
・「にじさんじの箱を負う重責」が存在していること
1個めの「集団の中でトップに行くこと」の重要性については、後の文章で突っ込みをいれておく。
炎上に対する恐怖心が「過剰に」強すぎる
名越:いくら物分かりのいい上司であったとしても、無意識レベルでは「でも、この範囲から外には出ないでね」と言う枠組みを持っています。そして、本当に意味のある「新しいこと」っていうのは、往々にして、上司の理解の枠組みを超えたものなんです。
つまり、本当に「新しいこと」に取り組んだら、十中八九、上司からは否定されるし、それはそれで、別に問題ないんです。それが本当に自分のやりたいことだという確信がその人の中にあれば、何度怒られて、否定されても、諦めないはずです。
そうこうして取り組んでいるうちに、内容はさらに改善されていくだろうし、たとえばお客さんとか、別の会社から評価を受けるようになり、上司も認めざるを得なくなる。組織の中でやりたいことをやる、新しいことをやるっていうのは、そういうことだと思うんですね。
ダブルスタ丼氏の文章に数多く登場するのは、「下位のライバー」が余計なことを言うことによって、炎上を起こしていることとそれに対する非難である。が、しかし、これは炎上というものをあっさりくくりすぎである。
例えばAdoの『うっせぇわ』は、私の覚えでは最初にヒットしたときにその強烈な歌詞に対して炎上が起こっていた。しかし、今ではわかるように、その曲が生み出したボカロ風の曲が一世風靡している。
ポイントは、炎上は時には新しい空気が始まる合図であることである。空気を読めという言葉があるが、それは「出る杭は打たれるべき」という意味ではない。「自分で新しい空気を作っていい」という意味である。
ダブルスタ丼氏の描くにじさんじ文化が一生続くことは、にじさんじが新陳代謝を失うことを意味するだろう。
問題児や数字を取れないライバーへのあたりがキツすぎる
ダブルスタ丼氏は問題児や数字を取れないライバーに対してかなり強い当たりを示していた。ただ、これに関しては面白い動画が存在していたので共有しよう。
元にじさんじCOOの岩永氏は、本人も時に忘れてしまうとも言っているが「数字を取っているライバーが損をする形になっているか」を常に意識しながら方針漬けを行うという。やみえん氏によれば、「売れている人が売れていないライバーにお金を渡す形になるのを嫌がることもある」という。(ただし、やみえん氏は集団に属することはそうなるのが前提ではないかと言う立場である)。
この動画で言われている話はなんせやみえんさんと元にじさんじCOOから言われている話なので、実はこのにじさんじの上位ライバーと言う考え方自体は一定の意味があったと言ってよさそうだ。
ただし、私はその「数字の出どころ」を、必ずしも「にじさんじ内」に求めようとするダブルスタ丼氏の姿勢には強い違和感を感じる。
マーケティングは、「今の顧客の需要を満たす」ためではなく、「お客さまが無意識に求めているもの」を掘り起こすのも大事である
心理学者で有名なフロイトの甥であるバーネイズ氏は、マーケティングという言葉を作ったと言われている。さらにその時のポイントは、マーケティングとは「今ある需要」にフォーカスするものではなく、広報などを通して顧客に「欲しくなかったものを欲しいと欲望させる」ことも重要であると唱えたことである。
ダブルスタ丼氏の文章は、「にじさんじの村社会化」を批判するが、残念ながら「箱」というものに固執しすぎているが故、にじさんじ内の分析に終始している。すでに上場企業となったANY COLOR社は間違いなくにじさんじの「外」の事をも考えているはずだ。
ライバーは箱を抜け出してそれぞれの場所で輝き始めた
ダブルスタ丼氏にあったのは、「にじさんじという箱に対する愛憎」であったように思える。しかし、ライバーはどう考えても箱のなかにこもっていない。声優・演劇・音楽・観光・学問とさまざまな世界とフレ、その世界で大きな話題をかっさらうようになった。
にじさんじライバーも人だと考えれば、どんどん付き合う人も価値観も変わっていく。
ダブルスタ丼氏のnoteは、にじさんじが「内側の世界」で自生していた領域が大きかった時期を象徴するものだった。しかし、彼が主張する「箱」の束縛力は壊れかけているように見える。これを岩永の言葉通り「上位ライバー」が損する世界と考えるべきかは、ANY COLOR運営の方針次第である。
でも、一つ言えることがある。ダブルスタ丼氏の文章を読んでも、どこにも現状への解決策は書いていなかったことである。
残念ながら、彼が主張するような意味でにじさんじは衰退しなかった。それは、間違いなく、ライバーやスタッフさんたちもしっかり考えて彼らなりの答えを出し、結果をだしたことにほかならない。
彼の予想がいい意味で外れた、と言う意味でダブルスタ丼氏のnoteは
「箱」という内輪の崩壊と共に、その役割を終えたのだと、私は思った。