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お誕生日おめでとう

娘は私がnoteやってるなんて知らないし、noteそのものも知らないかもしれない
11月24日は娘の誕生日だ

とても難産だった。前日から続く陣痛も弱くなって促進剤を打って
主治医がレントゲンを撮り忘れていて骨盤が狭くて出てこれないことも
陣痛終盤で発覚したし、お腹を押したり引っ張り出したりした時も
首に臍の緒が巻き付いていて危なかった

私は学生の頃から生理不順で生理痛もひどく、動けなくなるほどで
一度救急車で運ばれた時に婦人科で「子宮の発達が未熟です」と言われたし
産後の検診では「子宮が傾いているし出産に向いていないから
2人目産むなら早めに」と言われた
大学の非常勤講師をしていた元夫は収入が不安定で
「うちの経済状態では1人しか大学までやらせられないだろう」と
話し合って一人っ子にしようと決めて育てた
パワハラ夫は共働きを許してくれなかった
結婚と同時に短大卒業後就職した有名企業も退職していた

私はなぜか直感で自分が子どもの頃から21歳で結婚して若いお母さんになって
女の子を産むとなんとなくわかっていた(決めていたというか思い込んでいた)
理屈ではなくて動物的な勘

その通りに21歳で結婚して23歳で女の子を産んだ
子供が子供を産んだみたいと言われたけど
「この子を立派に(何が立派とはわからないけど)育てるのが私の仕事!と
私なりに一生懸命育てた
母が私にした育児やヒステリックな叱責がとてもトラウマなので
長男、妹ばかり可愛がる母を反面教師にして育ててきた

元夫が外国の大学機関で日本語教師をする定職につき京都にお引っ越し
経済的には少し余裕ができた
あえて町中ではなく自然の多い郊外のニュータウンに住んだ
虫歯にならないように毎月定期観察に連れて行き
ホワイトシーラントを埋めてもらい虫歯ゼロで大人になった
病気はある程度しか防げないし、勉強も代わりはできないけれど
虫歯だけは親が守ってあげられるところ
トイレットトレーニングがうまくいかず親子でトイレで泣いた
ついつい失敗を叱ってしまって親の自分が自己嫌悪で泣いた
娘に育ててもらったようなもの

幼児の頃からしっかりしてて周りのことがよく気がつく子だった
幼稚園で背が高かったから1番後ろになるんだけど
列に並べてない子を列に戻してあげたりお世話していた
髪の毛引っ張られてもやり返したりしなかったし
運動会の全体練習で「先生!トイレに行きたい」が言えなくてお漏らししたし
プリントやハサミなど自分だけ行き渡らなくて足りなくて言えなくて
お友達と誰とでもいいからグループになってって言われてもポツンと1人になった
参観してて親の私が「なんで言えないの」と情けなくて家でこっそり泣いた

手作りのものを食べさせ、公園に行きザリガニも採ってあげたし
寝る時には読み聞かせをし、バスで送り迎えの幼稚園ではなくて
手を繋いで送り迎えできる近くの幼稚園を選んだ

散々公園に寄り道して木登りまでするようになったし
たくさん一緒に遊び、一緒にお菓子を作り、アイロンがけなど家事も教えた
小さい間の足は大事だと聞いて、靴はしっかりしたものを選んだ
幼稚園児なのにコンバースやNIKEのハイカットを履かせたくて紐結びも教えた
近所の友達とたくさん遊ばせて家族ぐるみでお泊まり会もした
図書館に通い、本を限度数まで借りて読んであげて紙芝居や人形劇を観て
劇団四季のミュージカルを観て感想を言い合い、観劇のマナーも教えた
逆に習い事はやりたいというまで何もさせていなかった

小1で滋賀県に引っ越してからも変わらず自然に触れ
県や市が行っている親子参加型の実験や遺跡調査、水質調査には参加した
歯科矯正もしたし、視力が悪くなった時は視力も上げるための訓練も通った
小1の夏休みという中途半端な転校だったけど娘にとってはいい勉強になった
滋賀県の小学校はとにかくやんちゃだった
京都のニュータウンで「女の子には優しく」と扱ってくれた男子とは違って
学校帰りの田んぼで待ち伏せされて傘で叩かれた
学校に報告しても「〇〇君はそういう乱暴な子なんですよ」という返事のみ
でも、その分強くなった
初めての習い事はヴァイオリンとバトントワリング
やりたいと言ったものをやらせたかったから先生を探した
バトントワリングは京都まで通い、選手コースにと言われたけど
家族ごとバトントワリングに生活を捧げないといけなくなるので断った
両方とも小学校1年生から中学入学まで続けた

中学になったら常に緊張感を持って育てていたように思う
その頃、役職を解かれた元夫にパートに出てくれと頼まれて
早朝から働いて娘が帰宅するまでには帰れるような仕事に就いた
家には常に「お母さん」として娘の心の基地になりたかった

生徒会会長に立候補して負けたり、吹奏楽部の第1クラリネットになれず
帰宅するなり泣いた時も抱きしめた
「音楽のテスト100点で実技も100点もらったのに通知表が5じゃなかった」と
私に訴えてきたので「音楽の先生に聞いてみたら?」と言った
テスト100点で決して音痴ではないし音符も読めた
でも相対評価だから4になってしまったということは何かあるんだろう
先生には「ピアノの周りに集まって!と全員で歌う時に1番前に来なかったから」と積極性を指摘されて、次の授業から早く動いて最前で大声で歌ったらしい
中1の終わり頃に「うちのクラスだけ体育の先生が数学を教えていてわからない」というので公立中学には苦情を入れず、小さな地元の塾に通わせた

高校から以降は暗くなったら先にビールを飲んで寝ている夫は無視して
車で駅まで迎えに行った。滋賀県でも1番の高校の理数科だったけど
文武両道でテニスも3年間続けた
クラスの半分は京大か医学部に行くから当然落ちこぼれたけど
先生に「浪人してでも国公立に行ってください」と言われ
本当は矯正歯科の歯医者さんになりたかったけど
絶望的に生物、化学が苦手で、物理しかできなかったから
「建築デザインの仕事について建築士になる」と目標を変えた

テニス部を引退してから頑張ったけど浪人になった
高校からの推薦で学費半額で予備校に通えた
終電まで自習室使えて、中庭に池がある古い京都の予備校だった
1浪した後、センター試験でうまく行った顔で帰ってきたのに
しばらくしたら2階で大声で泣いている。何事かと娘の部屋に行ったら
「自己採点したら数学が1個分書くところがずれてた」と泣いている
絶望して数日間自室に引きこもって出てこなかった
「大学だけが全てじゃないから」と抱きしめて励ますしかなかった

もう十分頑張ったし、学費は高いし遠いけど私立の関大の合格はもらっていた
流石に高校の先生に従って現役のように滑り止めなしにはできなかった
しかし、奇跡的に合格して京都の小さな国立大学に合格した
デッサンも少し教室に通って2次試験は実技もあったけれど
この年は全体的にセンター試験が難しかったからミスした娘でも合格ライン

滋賀から京都までの交通費(地下鉄は高い)建築関係だったので備品も高額
学資保険で学資は出せたけどお小遣い、美容院代、卒業制作を手伝ってくれた
後輩へのご飯代など、自分のものはアルバイトを2つやって
(塾講師と新幹線のホームの駅弁屋さん)
大学祭実行委員もやりながら4年間製図室に篭りながら卒業した
入学式は私も見たけれど、卒業式は離婚していたので父親が行った
予備校と大学院は予定になかったので奨学金を借りて
今でも娘の給料から返済している(返済に無理のない金額しか借りてないはず)

最初就職しようとしたけれど就職が決まらず半年遅れて大学院を受験
大学院卒業後は仕事が選べた
大学院の先輩と結婚前提での交際もしていたので
婚約者のいる香川県の会社に就職したけれど
望んだ建築設計ではなく建築塗料の研究所
婚約者は先に電力会社に就職していて
2人とも若いので転勤になり遠距離に
浮気した婚約者とも破局して「香川に用がない」と
東京の設計管理の会社に転職した

香川の会社は一部上場企業で福利厚生もしっかりしていて高給だったけれど
他の男性社員はお年寄りばかりだったらしい
今も一級建築士は受験していないので「設計管理」をしている
給料が少なくなって家賃も高い東京への転職も反対などしなかった
計算くらいしてるだろうと娘を信頼している

今日で37歳独身
出張も任されているし現場仕事もありつつ、オタク活動で友達を増やしている娘
最近「卵子凍結」を申し込み、筋腫も見つかったので様子を見つつ
お金が続く限り、一緒に暮らしたいと思える人と出会うまで保存するらしい
婚約者と破局してからは出会いは努力したけれど恋人はできなかった
婚活パーティーも行ったし、相席居酒屋も行った
そういう場では全然話が合わないし
男性が多い建築業界でもなかなか出会いはないらしい
大学時代もほぼ男子だったのに同じ大学の男子は他の女子大の子と付き合う
私が離婚したせいかな?と変なところを気にしたりする

私は結婚に失敗しているので
口出しはしないし、娘の人生だから好きに生きて欲しい

「一人っ子だから1人でも生きていけるように育てよう」としたのが
逆に誰にも頼らないで生きていける子になったのかもしれない

私が神戸でひとり暮らしの時、病気になったら
頼んでないのにポンと100万円振り込んでくれた
「医療保険もガン保険も入ってるから大丈夫だけど治療に1年間かかるから
最低1年は仕事はできないから助かるけど返せないかもしれないよ」と言ったら
「こういう時のために貯金ってあるから」とかっこいいこと言ってきた
抗がん剤でハゲたらウイッグ付きの帽子を送ってくれた

今の所、それからまた違うがんになって
あまりにも一人暮らし闘病がきつかったからか
呼吸困難になる鬱にもなって、障害年金暮らしだから返せていない
死亡保険金を受け取ってもらうことにしよう

優しいしズボラだけど協調性があって料理もできる身長167の長身
決して太ってはないけど痩せてもないLサイズ女子
美人でも可愛い系でもないけどブスでもないしサバサバした性格
自立してるし派手でもない(親から見たら我が子は可愛い)
ダサくもなく適度に清潔感はあってプチプラでオシャレして
でもご縁がない

子育てが成功したかしなかったかなんて
あの子の人生が終わるまでわからないけれど
忙しいながらも好きな趣味を見つけてオタ友と遊んだりしているし
何が幸せなのかわからないけど、見ていて楽しそうなので

私の人生の目的である「娘を育てるのが仕事」は終わった

37歳のお誕生日おめでとう🎂

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