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中盤、アニメ『Ave Mujica』雑感の湯
アニメ『Ave Mujica』を観ていて面白い、楽しいと思い、好んでいる自分を薄寒く感じていた。この作品を追いかけている心理状態は、中世で火刑やギロチンの処刑台、見世物小屋に群がっていた群衆と同じようなものだろう。それは先週7話の放送を境に、確信めいたものになったと思う。
7話は非常によくできた踏み絵であった。”神回”を繕いつつも確信めいてタイミングをずらし、薄められた、本来最終回で迎えるべきと誰もが思っていた展開が中盤で足早に消化されたこと。そのことで素晴らしく醜い舌禍が起こっている。
あらかじめ予定された破滅と救済、人の精神の破壊と再生の様を楽しみ、座して待つ。もがきを、喘ぎを観測することの快楽。想像を巡らせることの狂喜。
その玩具を一度、不意にして取り上げられたことで起こった言葉の暴動はあまりにも身につまされるものだった。
物語は続く。まだ折り返しだ。後半の展開はおそらく、いや確実に『面白い』だろう。切り札に見えるものをこのタイミングで切ったということは、これすら頼るべくもなく、より暴力的な展開を抱え、構えている。各媒体で戦略的にその存在を小出しにしてきた。
だがもう疲れた。『面白い』とはなんだろうか。それはそうあるだけで、より苛烈だからといって、摂取しなければならないものだろうか。
魔法は、解けたのだ。そう言いながらまた吸い寄せられ今日も観るのだろう。