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エルドラドはDLC、そして運命の舞台説の湯|Diary:2024-08-28

「少女☆歌劇 レヴュースタァライト 舞台奏像劇 遙かなるエルドラド」をクリアしました。
メインシナリオ4パターン鑑賞後訪れるエピローグ、通称「グランドED」を鑑賞。

ゲームというフォーマット、Steam配信とSwitchソフトという媒体を通しつつも、ノベルゲームとしてはインタラクション性を極限まで廃した構成で、それはなにか新しいコンテンツ媒体と言ってよく…しかしやはりゲームであり。
敢えて言い表すならば、TVアニメと映画「少女歌劇 レヴュースタァライト」を本体としたDLC、という捉え方がしっくりくると思いました。

TVアニメと劇場版の視聴、体験を前提に成り立つあり様は、ゲームを所持し、プレイに本編クリア前後のレベル帯に育ったデータを要求するDLCを思わせ。
ファンコンテンツというには壮大で濃密であり…古くはテレビアニメのOVAや、後日譚ノベライズとも異なる。結末の先の結末を「体験」する感覚、この味わいが特に、ゲームのDLCに近いのです。

ゲーム史上最上と名高いDLC「ウィッチャー3 血塗られた美酒」を思い出します。終えた物語のさらなる終わり。本編からすれば傍流的な、しかし本編を越えんとするほどに濃密な冒険譚を経て、辿り着くこの上なく豊かな終わり。2年ぶりに手に取ったSwitchに刺さっていたソフトが、ウィッチャー3 Switch移植版であったこともそう感じさせる要因だったでしょうが。
そう、私にとって「遥かなるエルドラド」というゲームは過去最も愛したゲーム体験の片鱗を感じさせる内容でした。

前回の日記では残念だった点も挙げていますが、今となっては本質に集中させるためのオミットとさえ捉えられそうな、それくらいの物語の出来でした。

以下与太話です。

エルドラドはジュディーの運命の舞台の夢を見るか

アニメ本編で神楽ひかりをオーディションで下したジュディ・ナイトレー、与えられた権利である願望器「運命の舞台」を、彼女は行使しなかったことが明かされた。

しかし私には、このゲーム本編を通して描かれた4篇、主役の異なる「遥かなるエルドラド」とそれに至る聖翔音楽学園と王立演劇学院の交流プログラムの日々が、ジュディ・ナイトレーの運命の舞台であったのではないかと思えている。

主役を変えるごとに驚きの波紋が高まり、強度を増し、観る者演じる者を昂らせる4度にわたる再演の舞台。
同じループでも、大場なな運命の舞台「届かないから届くまで繰り返す」という舞台とも異なる、あらかじめ願われた4度の日々のループ。8人から主役を2人づつ据えた、計4回の公演に至る日々のループ。

神楽ひかりから聞いた日本での日々、彼女の8人の友人、ライバル。
そのうちの何人かはジュディの幼少からの秘めた悲願、新国立第一歌劇団に進む。
その者たちを、定点で極星のように輝きながら、間近で鑑賞する特権。
己だけがズルフィカール役を演じ続け、8人が扮するサルバトーレとアレハンドロと刃を交え息吹を交わす。

ジュディがオーディション、運命の舞台の権利のことなど忘れた頃。
すでにプロの道も歩み、成熟しつつある舞台人として過ごす完璧すぎた日々の中で、初めて強く願った舞台が、この合同公演の機会であったとすれば。
運命の舞台が、彼女も知らないうちに幕が上がり、そして下りていたのではないかと、そんな空想にふける。

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