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NHK MUSIC SPECIAL「藤井風 いざ、世界へ」が素晴らしすぎた

2023年もとっくに明けたというのに、いまだに、どんだけ見るねんってくらい、何度も録画を再生している。
2022年12月28日放送、NHK MUSIC SPECIAL「藤井風 いざ、世界へ」。
この5日前の紅白歌合戦の番宣「みんなでシェア」、そしてこの番組、さらに大みそかの紅白歌合戦と、すべての番組を無事に見届けることが私と中2の息子のミッションであり、出勤・登校時にも「必ず生きて帰って来いよ!」が二人の合い言葉になっていた(大げさ)。
それくらい破格に楽しみだったのだ。特にこの番組が。

番組冒頭は、2021年の紅白初出場の映像から。
大泉洋「実家から紅白に出るって人いるんですか?」からの、サプライズで実は会場に来ていた! という伝説のあれである。
それからの一年の間に、藤井風を取り巻く状況はさらに華々しいものとなった。
とりわけ全世界での大ヒットとなった「死ぬのがいいわ」。
この、2020年リリースのファーストアルバムの一収録曲に過ぎなかった曲が、2022年に入りTikTokが元となり世界23ヶ国で一位を記録、ついには「2022年世界で最も聴かれた日本の曲」となった。
番組ではこの曲の魅力を探るべく各国のファンを取材するとともに、藤井風の音楽のルーツというインドでの密着取材を敢行、「grace」のMV撮影に同行。さらに帰国後の大阪・パナソニックスタジアムでのライブにも密着。合間にインタビューが入るという、ざっと述べるとそういう内容だった。

フランス語でギター弾き語りで「死ぬのがいいわ」をカバーする女性シンガー、タイの民族楽器「チャケー」で演奏する女性、フランスやブラジルの男性ファンたち、愛することの切なさを歌う歌詞がブラジル民謡に通じると述べるブラジル人女性ファン、などなど、その魅力を熱く語る海外ファンたち。
同時に何度も何度もこの曲のフレーズがリピートされる。主に日本武道館でのライブの映像だ。
一聴、男女の道行き(駆け落ちまたは心中?)の歌のようにすら思えるこの曲、しかし実は恋愛の歌ではなく、
「自分の中の大切な人にしがみつきたい、その存在を失うくらいなら死んだも同然」
という趣旨の歌なのだという。
唸ってしまった。
自分の中の、自分より遥かに高次元の魂を持つ、理想の自分。
そんなものが私の中にもあるのだろうか。私の中になど、私以上にダメな私しか存在しないのではないか。
考えたこともなかった概念に触れた。見たくもなくて目をそらしてきた自分の内面に真面目に向き合わなきゃな。
海外のファンたちは恋愛の歌と思っている人が多いようだけれど、実は根っこの根っこの部分で、この辺りのことを理解している人も多いのではないだろうか。そう思った。

「grace」のMV撮影のため向かったインド。
育ったご家庭の影響で、インドにはなじみがあるという風さん。
リラックスした表情で街を歩き、現地の子どもたちと英語で話す。
リラックスといっても、たとえばかつてのシングルのbehind the scenes(メイキング)などで見られる、ちょっぴり甘えっ子な表情ではなく(もちろんそれも萌えなのだが)、スターダムを駆け上がる中での厳しい状況もあまたくぐり抜けて大人になった青年の、真に解放された表情が印象に残った。
ガンジス川で沐浴する場面のなんともいえない美しさよ。「藤井風さんでインドでこういうシーンが見たい!」にパーフェクトに応えてくれる、まさに表現者、なのだなあ。
撮影の合間のインタビューでこんな思いを吐露していた。
「……余計なことを考えずに、生きていきたいと思って。まだやっぱりちょっとネガティブな感情とか、どうしても生まれてきちゃうんで、早くこの曲みたいに、透明みたいな心になりたいと思ってます」
この曲のような透明な心に……。
ネガティブな感情に支配されっぱなしの人生だった私も、風さんの音楽に出会ったことで、要らない感情を手放すことを知った。
世界中の誰もが、少しずつ、手放したいものすべて空に捨てて透明になる。憎み合いなど起こらない、そんな世の中になってほしい。インドの朝焼けを見ながらそんなふうに感じた。

インドから帰国すると大阪でのライブが待っている。
もっと早く風ファンになっていれば私も参加してたかもしれないライブ。
「grace」ではひたすら神々しく(この曲のみ客席からの撮影が許可されていて、あちこちで光るスマホの光も美しい)、「死ぬのがいいわ」は妖艶かつ真摯に「自分の中の理想の自分を守るため戦い、もがく」姿を体現し、「まつり」では客席がいっせいに手踊りで揺れる。1歳くらいのおちびちゃんも踊る。この坊やの目にはこの光景がどう映っているのだろう。
♪なんにせよめでたい! で花火が打ちあがる。鳥肌立つような完璧な「風の秋まつり」である。


それにしてもこれほどまでに、オンとオフの姿にギャップがあり、それがたまらなく魅力的なアーティストも少ないのではないか。
ピアノに向かった途端、あるいはステージに立った途端、目にぐっと力が入り、一段と彫りが深い顔立ちになる。優れた身体能力と音感で躍動する。身体を締め付けないエフォートレスな(しかしとびきり美しい)衣装をまとって歌う姿は神とまでは言わなくても、音楽の神の化身かと思わせる。
ところがインタビューに応じる素の藤井風は、パーカーにぶかっとしたシルエットのパンツ(やはりエフォートレスだ)で、やさしい丸い目をくるくると動かし、素朴な微笑みを浮かべ、言葉を慎重に選びながらゆっくり、訥々と話す。一人称は「わし」。飾らない岡山弁。
一緒にいるとなんか眠たくなっちゃいそうな、春の午後のようなふんわりとした空気感をまとっている。
きっとこの人はステージを降りるたび、衣装を脱ぎ、水を飲み、仲間と喋り、お野菜を食べ……という過程の中で、少しずつ少しずつその輝かしいオーラを消していき、普通の(普通じゃないんだろうけど)25歳の青年に戻っていくのだろう。
普段の自分を大切にし、慈しんでいるからこそ、逆に、衣装を身につけ、寝癖も直してもらいw、マイクの前に立った瞬間、その途轍もないオーラを発し、客席へと才能と愛を振りまいてくれることが出来るのだろう。
普段の藤井風さんが、どうかいつまでも平穏で幸せな毎日を送れますように。彼の才能を愛する者としてただただ祈っている。

最後になるが、ナレーションを務めた俳優の中村蒼さんも私は好きだ。
抑制された声で、淡々とながら内に熱いものを秘め、決して映像世界の邪魔にならず、それでいて伝えるべきことをしっかりと伝える、素晴らしいナレーションだった。

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