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同じ脈を打つふたりの女
わたしはつくづく母親に似ていると思う。
顔は父親似だが、性格もかなり離れているが、どう並べてみても母とわたしは、いわゆる感受性的なものの強さだったり、脆さだったり、それの日常生活における傾き加減が、恐ろしく似てしまっている。
それがどうというのでもないし、じぶん(たち)の資質がなにか特別だとかは全く思わないけれど(むしろ人間としてはなかなかの出来損ないだと思っている)、わたしが毎日毎晩文学にまみれて詩や小説の出来損ないのようなものを綴りつづけているのは、ほかでもない母の血を引いているからなのだと、そう思わざるをえない。
但しこれは、あくまで感受性に絶対値記号を付けたら値が(=強度)が近しいというだけで、ベクトルやほかの要素は、今のところそんなに似ている気がしないのだけれど。
なのであくまで強度、の点で見ると、母もわたしも、その、じぶんのなかに安置させることがどうしてもままならない感受性ギャングを、自身の創作に、めいっぱい注ぎ込むことでなんとか心のリズムを保って生きているのだ。創作の手段は異なっていて、母は音楽(ピアノ)、わたしは文学(小説や詩など)である(今のところ。)
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ちなみに、「心のリズム」と書いたが、母もわたしも、似ていてこれがよく乱れる。というのは比喩ではなく、ほんとうに乱れてしまうことがある。わたしたちは、ふたりとも日々不整脈に悩まされていて(母はどうか知らないがわたしは少なくとも小学生の頃から不整脈があり)、ストレスや疲労、睡眠不足が大敵なので注意しないといけない。(最近心臓内科に行ったのだが、不整脈じたいは大部分の人間にあらわれるもので、その頻度が一定以上を超えると心臓に悪いとされている。なのでわたしは来週精密検査をすることになっている。これも母と同じように、正常範囲ですようにと願いながら!!)
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遺伝というのは、ほんとうにおそろしいものだと思う。どんなにわたしを取り巻く社会状況(とざっくり括っておく)が移ろったとしても、文学にいっさいの興味を失う瞬間がおとずれたとしても、結局、なにかを創作しつづけていないとわたしは生きていけないんだろうなと本能的に感じるときがある。そういう意味では母もわたしも、正直あまり幸せな星には生れつくことが出来なかったようだ。創作にはいろんな在り方や目指され方があると思うけれど、母とわたしのばあいは、心を極限まで削り落としていかないと成立しないようなかたちをだれかから(神様がいるのなら神様から)与えられたようだから。
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母はきょうもピアノを弾く。わたしはきょうも小説を書き詩を書く。それらはだいたい、夕方から朝方までぶっ通しでおこなわれることが多い。(わたしは音のでない創作だが母のはふつうに近所迷惑なので、勿論途中からヘッドフォンに切り替えている。わたしたちは生活時間も酷似している)
この、同じ脈を生きるふたりの女を、わたしはときどき俯瞰して妙に可笑しくなってしまう。もしもべつの生き方ができるのなら、だれかわたしの初期設定を変えてくれないかと思ったりもする。羨ましいと思われることもときどきあるし、自慢に聞こえることもあるかもしれないけれど、そしてじっさい、書いて机にのめりこんでいるときの生きていること(心臓が脈打っていること)を忘れられる感じは何にも代えがたいのだけれど、それでも代償としているものがあまりに多い気がして(創作は薬中に似ている気がする)、とりあえずじぶんの心臓のために夜中ぶっ通しで書くことはやめたいけれどやめられなくて、ああどうしようね(でもどうしようもないよねわたしだもんね)という感じである。
そしてこれはわざわざ書くことではない気がするけれど、わたしはじぶんの書いたものを「すごいでしょ」と思ってここに載せられたことが一度もない。ただ、いまのじぶんがかろうじて持っている、書き手としての器をギリギリまで研ぎ澄ませて書いているだけであって、それの積み重ねでしかなくて、そういう意味でひとつひとつの作品に当然ながら自負はあるが、質・量ともに誇れる地点にはぜんぜん達していない。
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それでもこうして読んでくれる方がいるのは、ほんとうにありがたくて、毎晩孤独ではちきれそうなわたしの、大事な心の支えになっている。
とりあえず、今のところ、わたしは元気に生きている。母も、元気である。それは、とても、とんでもなく、ありがたいことだと思っている。
いろいろと、ゆるせないことがある。
ゆるしてもらえないだろうなということも、やってしまっている。
わたしはきょうも生きる。
どうか、2025年がじぶんにとって、母にとって、少しでも飛躍の年であり健康でいられますようにと願いながら。
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と、いうことで、つまらぬことを冗長に書いてしまいましたが、末筆ながら今年も、このアカウントをどうぞ宜しくお願いします。
昨年は数えてみたら(たしか)36本出していました。
今年はどうかな。
文学賞など諸々にも出しているので(というかそっちが一応メインなので)、そういうものは出せなくて、本数が絞られてしまうかもしれませんが、引き続きこのアカウントは使っていく予定です。
どうぞ今年も宜しくお願いします🤲
麗奈
p.s. 新年のご挨拶としては妙な内容になってしまいましたが、この記事のタイトル「同じ脈を打つふたりの女」は、わたしが過去に見て最も忘れられない映画作品のひとつであるキム・セイン監督の「同じ下着を着るふたりの女」をオマージュさせていただきました。
▼末筆ながら、映画の公式サイトを貼っておきます
https://movie.foggycinema.com/onajishitagi/