自分が自分でいるために
自分が自分でいるためにしていることを書いてみる。
具体的に何をしているんだろう。「自分」という人間が作られるまでにたくさんの人に出逢ってたくさんの経験をした。
そんな中、自分の中で「自分」という人間が自分の中で出来上がってきたのは2年前だと思う。まずはその頃の自分を振り返ってみたい。
2年と少し前の私。
大学に通いながら自分のための洋服や遊び、呑み代に使うお金のためにバイトをしていた。大学に通うといってもコロナの影響もあって授業は全部オンラインでほとんど家にいるかバイトに行っているかだった。
その頃の私は彼氏がいて、その彼氏は小さい頃から好きだった幼馴染の男の子。
東京と静岡の遠距離でお金と時間さえあればすぐに会いに行っていた。ずっと好きだったけど中学校を卒業してからは段々疎遠になり、年に2、3回「誕生日おめでとう」と「あけおめ!ことよろ!」と送りあうだけだった。それなのに好きだった。付き合えるということになってから半分以上彼の家に居た。
彼はタバコを吸う。
ギャンブルもするし、友だちからお金も借りる。
私が会いに行っていても友だちに誘われると私を置いて遊びに行く。
友だちに混ざって呑み屋で女の子に声をかけて連絡先を交換したり、男女複数人で彼の家で泊まっていたりもした。
それでも好きだった。保育園の頃から知っている大好きな男の子が20歳になってお酒やタバコを吸って、スロットに行っている。目に見えて分かる彼が変わったところもとても好きだった。もちろん昔から変わらない内面の部分も全部好きだった。
2021年1月末日全国で「花束みたいな恋をした」が上映されてすぐの夜、彼から電話があった。
彼は仲のいい友だちと映画を見に行っていた。感想で「いろいろ考えさせられる、俺泣いたわ笑」とLINEで来ていたのを今でも覚えている。そのあとみんなで呑みに行っていたらしい。友だちの中に高校生の頃から4年付き合っている彼女がいる子がいた。その子が、
「俺も好きとか嫌いとかわかんないけどタイミングを失ってると言われるとまじそれなんだよね。好きとかだけじゃやっていけないよ」
という話になって、その子は彼女と別れることを決心したらしい。彼女にも気持ちを伝えいざ別れるとなると友だちも辛かったみたいで、
「今まで当たり前に隣に居てくれたんだな、ありがたかった、絶対幸せになろうな」って言いながら泣いていたみたい。
その次の日の夜に私と彼は別れ話をすることになった。
「彼氏彼女じゃなくなる時は結婚するか別れるかのどちらかしかない。でもそんな形で大切な大好きな幼馴染を失いたくない。今ならまだ幼馴染に戻れると思う。」と彼は言い別れることになった。
その友だちに影響されたのか、映画に影響されたのか、私のことを好きという気持ちが薄れたのか、別れたかったのかはわからないけど、彼の中で何かのタイミングをくれたのがこの映画だったのは間違いないと思う。
そこから私は闇に落ちてありえないくらいのお酒と彼が吸っていたタバコを毎日飲んで吸って飲んで吸ってを繰り返した。
あの時の私も今の私も自分のことをバカで弱いと思う。
そこから這い上がっていく過程が「自分」を作り上げた。自分が自分でいるためには大切な人、大好きな人との日常が必要なんだろうな。