渋ハロ制圧には1億必要だったのか
ちょっと真面目な話。
#渋谷ハロウィン #渋ハロ のハッシュタグが流行っているように今年も渋谷は盛り上がったようだ。
去年盛り上がりすぎたのを抑えるのに今年は渋谷区が1億を投じて規制と警備に当たった結果、昨年よりは逮捕者も出なかった。
盛り上がるってなんだろう。
昨年のハロウィンの翌日、ニュースで見た光景はとてもショッキングだった。
叫ぶ人、軽トラックを倒し上に乗る人、笑いながらその動画を撮る人、警官の誘導を無視する人。
盛り上がりすぎたらこうなるの???
過激なデモかなにかか、私の目にはそれがハロウィンで盛り上がる人々には映らなかった。理由があっても罪を犯すのはいけない。
大人数で集まって騒ぐのが楽しいのはわかる。目的が同じである一体感も楽しいだろう。
例えばライブとか、試合観戦とか。それらも同じ目的の人たちが一堂に会する高揚感がある。
でもそれが路上で、暴徒化と言えるくらい暴力的になってしまったら楽しい?
日本人は集団心理に弱い気がする。右へ倣えの教育が幼い頃から根強い。
私が幼稚園の先生をしていた時も、机に向かって集団活動をする時間があった時、周りと同じようにしない子は絶対にいる。
気分じゃないとか、出来ないから嫌だとか色々理由はある。でも本人の経験になるようになるべく挑戦できるように促していた。
例えば初めてのはさみの活動なら、はさみに触れて使ってみることが目的だ。
でも、みんなと同じように椅子に座ってみんなと同じことができることを求める親はとても多かった。
理由は、その方が安心出来るからだろう。正解がない子育ての中で、周りと同じことを基準に安心したい気持ちはわかる。
しかし、個性や発達度合いと関係なく11ヶ月年齢差がある子もいる集団生活で、みんな同じようにすることを求めるのはどうだろうか。
そんな教育が良しとされ高校まで従順性を求められ、大学や社会に出ていきなり独創性まで求められる。
周りを乱すことを恐れて反論もしない、おとなしい国民性ととられることが多い日本人。
でもその国民性こそがハロウィンでの暴徒化の理由の気がする。
仮装しているからいつもの自分ではない=匿名性も高まる気になってしまう。それと、周りも騒いでるからいいという集団心理。
騒ぎ立てるのが正解と思ってしまうような右へ倣え教育があるのでは。
今回は制圧が目的でしょうがなかったのかもしれない。でも長い目で見れば1億という税金は教育に充てるべきなのではないか。
正直言って、同じ先生でも医者などと比べて教師の地位はとても低い。低い職業になってしまっている。
年功序列で内部が腐りきってるところもあるだろう。
ただ教師が稼げる仕事になれば、優秀な人材が集まって結果未来の日本を支えることになる。
そして、創造性のある教育や子育てがよしとされる社会になって欲しい。