《4通目》道の駅かでな、角にて。
先生へ
道の駅かでなって、私的には「私の意思に従って何を見るか決める」場所です。特に、学習展示室に関しては1か所だけ見ます。れいんの心がぐっとつかまれる場所。すっごい大好きで、すっごく寂しい場所があるんです。
階段を上がって(最近体力なくて、しんどい笑)、右手側に見える展示室。去年初めて展示室を見に行ったとき、第一印象は「新しい…すごっ。」だったと思います。今年の10月にまた行ったとき、見る場所はもう決まっていました。
私が見るのは、入って右手にある戦前の、嘉手納町の写真の展示。他のところを見る時間がもったいないと感じるくらい、わたしはその展示が大好きです。栄橋に足をぶら下げて座る若い男の人たち。一見ふつうっぽいけどめちゃくちゃ上等に作られている比謝橋。そして、街並みの写真。私は街並みの写真が一番好きです。その写真は、壁一面の大きさで展示されていて、少し実物大よりは小さいけど、ちょっと遠く離れたところから、彼らの生活を眺めていると考えれば、ちょうどいい大きさだと思います。
戦前の沖縄は、意外に洋風なのか。しゃれたおじさんを見てそう思いました。そのあとは、写真の中に私を入れて見る。
空はある程度薄い色をしていて。蒸し暑い沖縄だけど、今日はなんとなく過ごしやすい日で。「たばこ買ってきて(昔ながらのセリフ)」、とか、「今日は休みだから、ちょっと出かけようか。」みたいな家族からの言葉で私は外に出る。少し歩いてって、見えた風景がこの写真。割と人も通ってて、にぎわっているな。なんか持ってる裸足のおばさんを通り過ぎて、若い男の人。しゃがむ子供たちが目に入る。そうやって、街を通り過ぎていく。左側に歩みを進める。歩みを進めるたびに、実はどんどん時間が経過していく。
そうして多くの兵士が並ぶ写真に視線がぶつかる。また、知らないうちに1945年になってしまう。
私は戦前の風景が大好きで、いつも心をつかまれ、懐かしいような、幸せなような。そんな気持ちになります。でも、そういう普通の生活をしている中で刻々と時間は過ぎていき、1945年の沖縄戦を通らなくちゃいけなくなる。非常に凄惨で過酷な歴史を通らないと、人生を狂わされるほどの深い傷を負わないと、今にたどり着けないことに気づかされるんです(それは、必ず負わければならなかった傷ではないって思ってる。だからいつも悔しい、苦しい)。
写真に写る彼らは、1945年を通ったのでしょうか。そう思うと、ずっと戦前に留まりたくなって、私はもう角の写真の展示しか見なくなりました。
道の駅かでなの学習展示室は、私にとってそういう場所です。先生はあの展示室に行ったとき、何を見るのか。もしあれば聞いてみたいって思います。