見出し画像

《2通目》「思い」と「論理」

先生へ

あ、そういえば。1通目に敬具を書かなかったのは、忘れてたからじゃないですよ(笑)。いつかこの一方的な手紙を書き終える時、最後に敬具を書くと思います。どれくらいやるか分からないけど、またまたよろしくお願いします。

さっそく本題に入ろうと思います。
2通目は、抽象的な話で終始させてください。《1通目》のあの日、あの研究室で先生と話した「思い」と、「論理」のお話について、ひとりで振り返って考えてみたことをここで勝手に消化したいと思います。

私にとっての「思い」は2種類あります。
一つ目の思いは「本音漏れ」と名付けるとしっくりきます。「本音漏れ」は思いの原本みたいなものです。1番大事。何か問題が起こった時、誰かが困ってる時「本音漏れ」を拾わずに、誰かを説得しようとするなら、その説得は全て屁理屈になるように思います(私の圧倒的主観の話ですが)。
例えば、ボールを無くして泣いている男の子がいたとして。この時に大事なのは、いかにそのボールが大事でかけがえのないものか、ではないと思います。それよりも、男の子がボールをなくして「悲しい」「嫌だ」と思っているという思いの原本=「本音漏れ」が大事かなと思ってます。ボールを探すのは、「その男の子が単純にボールがなくて嫌だ、悲しい、寂しいと思っているから」というので十分だと私は思います。

2つ目の思いは「加工済み思い」。これについてはまだ自分なりにうまく整理がついていないのですが…。「本音漏れ」をより人に伝わりやすくするために、思いを分かりやすくしたもの、あるいは膨らませたもののことを、「加工済み思い」と呼ぶことにします。運動家の方々がプラカードに書くような、演説家が並べるような、新聞の大見出しのような、そういうのを「加工済み思い」だという風に私は見ています。

次に、「論理」という言葉は、私の中でいろんなものを含む言葉です。例えば、決まりだったり、仕組みだったり、事実関係を並べたり、とにかく「みんなが認めるもの、納得するもの」みたいな見方をしています。ちょっと加えると、伏線は論理をうまく活用したものだと思います。結構人間って伏線とか、論理的に事柄をつなげることが好きっていう風に私は見てる。論理って、人を魅了する何かがある気がします。

今の私には、人間が人間同士の「欲の齟齬」の問題にぶち当たったときに、「加工済み思い」×「論理」を用いたやり取りがメジャーになっているとように映ります。
絶対にそっちの方が、多くの人に見てもらえることはなんとなく分かります。だからそうする。そうしないといけないのかもしれない。でも、これって私にとっては少し寂しいことなんです。こういう「加工済み思い」×「論理」のやり取りが横行している社会問題を見ると、問題は私から遠いところにあるように映ります。でもきっと、もっと近くに寄れるはずなんです。
私がいざその問題から悲しい思いをさせられる立場に置かれた時、一番うれしいのは「本音漏れ」を聞いて、「隣に立ってくれる人」の存在だと思います。なんにも変えてくれなくても、誰かが隣に立っていてくれれば…。私に寄り添うことなく、解決に向かって動く人。とってもとってもありがたいけど、なんだか不安になるんです。

例えば、私が病気になったとき、「痛いね、痛かったね」って、「本音漏れ」を一言言ってくれるお医者さんがいいんです。その言葉は「よくある症例ですね。この治療をしたら痛みがすぐにおさまります。」(論理)と言ってくれるより、安心する気が…。でも、論理も必要で、やっぱり難しい…。

でも、「本音漏れ」はあまりにも人に伝わりにくい。それは、先生も実際に体験されていたし、私も感情論の熱弁(「加工済み思い」であることが多いんだけど…)を聞き流してしまうことが多々あります。
私が「思い」を伝えるために大事だと思うのは、「本音漏れ」と「論理」の組み合わせです。論理は先ほどお話したように、伏線や繋がりによって人を「面白い!」と思わせる、仕掛けになってくれる。誰かが困っているとき困っている人の気持ちを「加工済み思い」にして使用するのではなく、「本音漏れ」から必ず拾ってきて、「論理」と組み合わせる。すると、問題がいい方向に向いてくれるんじゃないかって、今はそんな気がするんです。

長くなりましたが、先生と話して大っ嫌いだった「論理」への考え方がだいぶ変わりました。論理を誰かの「本音漏れ」を聞いてもらうための仕掛けとして使っていけるように、ちょっとずつ私も成長したい。でも、そんな仕掛け作れないかもしれないから、私は「本音漏れ」を探しに行く役割だけをもってもいいのかも。それだけでもものすごい大変なことだと思うけど…。自分が担いたいのは、そういう役割なのかもしれない。

自分の中でちゃんとまとまってなくて、すごく乱雑な文章になってしまったけど、「論理」って案外悪いものじゃない。それが一番言いたいことかもです。

2024.11.6 今日は私の大好きな芋の日らしいですよ。 れいん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?