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《38通目》えーさんと、あんまんを食べ終わるまで①

先生へ

わけあって、ほぼ週1で通っている糸満市与座。
今まで、南風原南の高速を降りたところから、「沖縄戦の激戦地=怖い場所」と思ってきました。でも、与座に通い始め、毎週のように与座岳を眺めるようになってから、与座までは私のテリトリーになってきて。
今では糸満市与座以北は、恐怖をかき消すような、楽しい音楽をかける必要もなくなってきています。無音で窓を開けても、怖がらずに運転できるようになりました。

ある日の午後。
なんとなく今日は平和祈念公園に行った方がいいかも。そう思いました。そこで、与座での用事の帰りに、礎に行くときに必ず訪れるようにしているある人(以下えーさんと呼びます)のところに行ってみることにしました。

えーさんは教師を目指していた19歳の男子で。先生の授業の中で出会うことのできた方の一人です。
79年前は、戦争は嫌だということの難しい時代。でも、えーさんは、戦場に行かなければならないことを「残念だ」と話す。その後、戦地に動員され、右手の怪我が原因で、壕の中で命を失った。そんなえーさんの話を、18歳の時に授業で聞きました…。(だから私は今20歳だけど、えーさんは私の中でずっと、一つ年上のお兄さんです。)

えーさんのおかげで、私は沖縄戦の勉強ができています。(という話を、1年前に先生の車でしたなあ、懐かしい…。多分あの時、オレンジジュースおごってもらいました。ごちそうさまでした。)

ちょっと、シリアスな話に…。
私は沖縄戦のことを勉強することが怖い。戦争なんて絶対嫌だから。もう、戦争なんて絶対にしないでほしいから。
でも、それ目的で平和祈念公園にいたら、彼らの写真を見ていたら、あの時代を生きた軍国主義者に、怒られる気がする(大半はそうじゃない。分かってるけど…でも怖い…)。そして戦地の沖縄は惨い場所だ。人が人じゃない。
もともと怖がりな私は、現実に起きた沖縄戦の話、実際の人の死、人の殺しの話を聞くことが、やっぱりめちゃくちゃ怖い。

でも…。えーさんの話を聞いて。えーさんは、私がこういう勉強をしてること、受け入れてくれる。多分、私が怖がっている人たちを諭してくれる、そんな気がしていて。そう思うと…。えーさんをお守りに、沖縄戦について知る事ができるんです。ちょっとだけ、怖くなくなる。

与座での用事を終わらせ、コンビニへ。一度会計終えたんですが。なんとなく、あんまんを注文しようと思いました。勇気頑張った。
えーさんと食べるか。

次に続く。

2024.11.24 本当に朗らかなてんき。おもちゃみたいな雲が浮いてた
れいん。

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