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《28通目》先生のドアから覗く高江②

先生へ

まずは、今年の8月。高江に行った日のことを少しだけお話しします。

8月中旬。うだるような暑さで。車中のクーラーによってのみ、快適に過ごせるような日。高江に降り立って、高江のヘリパッドの話をある程度聞きました。
帰りも狭い道。ジャングルの一歩手前的なジャングル。
思い出すのは、話の途中に急に顔を出したかわいいカメさんのことや、ヤンバルクイナの鳴き声(初めて聞いた…)。
肘かける車窓には深緑(ふかみどり)の木々。湿気高そうな景観。行きと同じ細い一本道。

どうやらこの道も基地の中らしい。先生が行きの車で教えてくれました。

道中、なんとなく、後ろから視線。銃を携えた軍人。私たちの車を撮影。おそらく撮ったのはナンバープレートか。

沖縄の中部にある普天間や嘉手納とは違う緊迫感を感じ、なんだかとっても怖くなりました。

この帰り道に2016年7月22日の話を聞く…。これは《20通目》に書いた、組織との二回目の出会いに被ってくる話です。
(高江とこの日付で検索を書けると、そのごたごた具合が目にできるかもしれません。でもその写真には、叫び声や、熱気や、痛みや、感情がきっと含まれていない。写真には含むことができないかもしれない。その日の直接的な景色を、私は知らないけれど…。そう思う…。)

高江からの帰り道で…。
高江という地域は私が思っていたより、もっともっと愛おしい命であふれていて。思っていたよりももっと恐ろしい縛り方をされていた。

8月の夕方。私の目に映った高江は、私自身のドアから見た高江は、確かそういう景色を見せていました。

でも…。私は高江のダイナミックな場面を切り取ったところだけを見ていた。
権力に体を持ち上げられるような。力強いプラカードを掲げるような。車の下に体を敷き詰めるような。
そんな目につきやすい抵抗と抑圧の様子しか、知らなかった。

実はもう少し違う、生活的な、優しい成分を、きっと高江は抱いている。今の私はそう思っています。

*文脈の説明ができないこと。お許しください。多分、新聞記事とか本とかで調べたら出てくるかもしれません。

次に続く。

2024.11.19 学食、財布に優しすぎる。 れいん。

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