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存在というものについて
前回は精神体が生命体になるって話をしたんですけど、それに少し関連した話をします。
「その人ということ」についてなんですが。
肉体っていうのは便利で、その肉体を使っていれば「その人」と認識されるわけですよね。まあ通常は。
これが肉体に誰かを降ろして「私はあなたのご先祖です」と語り出したら、信じるかは兎も角、「ご先祖」が話してる事になるというか。でもそういうのは特殊な環境下の話ですよね。
通常、肉体を持ってそこに存在するだけで、一目瞭然「その人」なわけです。
けれど精神体には肉体が無い。じゃあ何を持ってその人っていうのか。
そうすると「観測した人の記憶による」ってなります。肉体がこの場に居ないとなると、今この世に生きている誰しもそうなるんですが。
例えば「噂がひとり歩きする」ってあるじゃないですか。「あの人こういう人らしい」「こないだあの人とこういう話したんだけど」とこの場に居ない時に「あの人」の話をしますよね。
そうすると情報の「あの人」が出来ちゃうわけで。
実際肉体があろうとなかろうと、結局は「認識される形」であるんですよね。その人の中の「そういう存在」になるわけです。
アイドルとか多数の人が観測するわけですが、「あの子はこういう子なんですよ!」っていうのがそれぞれにあったりするかもしれないし、「イメージ戦略」なんていうものもあります。
私のツインレイは肉体が存在しないにも関わらず、とっても他者観測が多い存在で、「こんなひとなのか?いやあんなひとなのか?誰が言う事が正しいんだ?」なんて思った時期もあったのですが。
結局自分の見る世界を作るのは自分なんですね。
自分の感覚で視る。自分が納得する。それを信じるしかないんです。
私の事を、誰がどう思おうと、結局私の感情は私にしかわからないんですよね。私が観測する彼は、私の観測する彼なのです。他者観測の情報を切り捨てているというわけではなく、「そういう面もあるのだな」と思っては居ますが。
肉体があったらそれを使うっていうのは、凄く便利なことだと思うんですよね。実際会う、実際話す、そうすると自分が伝えたい自分を一番効率よく伝えられるのかなと。
それでも「解釈違い」というのも発生するわけですけども。
いまこれを書いている私という存在でさえ、「情報体」つまり「精神体」であったりするわけです。ちょっとややこしいですかね。
つまるところ、肉体は一目瞭然と申しましたが、肉体でさえ「情報」なんですよね。視覚、嗅覚、聴覚、によって観測している。情報としては私は同時に色んな人の世界に存在しているわけですね。
同じ声を聴いて、「Aさんて声高いよね」と思う人も居れば「えーそんな高いとは思わないけどなあ」と思う人も居ますし。同じものを観測したのに、受け取る側の状態によっても変わってしまうわけです。存在というのはあやふやなものだなあと思います。
結局観測する人の基準、世界は自分の内側にあるのでしょうね。
どこまでも考えて遊んでしまいそうなので、今回はこの辺でおしまい。