理想と現実の乖離
つらいしんどいと思いながら毎朝起きる。
起きるたび何もできない自分を殺したくてたまらなくなる。
だから寝るのも怖くなる。
お金があれば今抱えてる問題の95%が解決する。
あとの5%はやりたいことをやるために自己研鑽する力。つまり努力。
95%の問題がお金で解決するから働けばいいだけなのに、それができないこの二ヶ月半。毎日自己嫌悪で死にたくなっている。
元々裕福な家庭に生まれた人間にだってもちろん悩みも、裕福だから付きまとう問題もあるだろうってのはわかる。
けどなんで裕福な家に生まれなかったんだろうって、運を恨みたくなる。
両親に恨みはない。贅沢はできなかったけど貧乏でなかった。進路は自由にさせて、お金もかけてくれた。でも社会で必要なことを教えてくれる親ではなかったから、それについてはちょっと恨んでるし、子供の人生に責任持ってほしいとちょっと思ってる。
自分で知る努力をしなかった、と言われたらそれまでだけど、コミュ力底辺の私はその日その日の学校社会を生きるだけで精一杯の人生で、今ほどSNSもなくて学校以外の生活なんて知らなかった。それが一般的だと思っている。知った上で社会に出れた人たちは恵まれてると思うし、とても頭のいい人なんだと尊敬する。
人と話すのも、失敗するのも怖くて仕事ができない。
迷惑かけるのがしんどいし、お客さんがいる場所ではもう一生働けないと思う。お客さんって生き物ほど厄介なものはない。
在宅で一人でできる仕事にはなにかしらスキルが必要だし、ないし。
どうやって生きていこう。
どうすればきらきらした毎日を送れるんだろう。
ただお金に困らずに生きていきたいだけなのにな。
ミニマリストではないけど半ミニマリストってくらいにはもの少ないし、家は小さくても全然いい。高級ブランドにも興味ないし、お酒もそんな好きじゃないし、免許持ってないから車もいらない、結婚願望もない。
ただ私一人が本当に欲しいものを我慢せずに帰るくらいの財力がほしいだけなのに。それが死ぬほど難しい。
なんでこんなことになっちゃったんだろう。
自己責任と言われればそれまでだし、本当にその通りなんだけど、コミュ力あって人が怖くなくて、器用に仕事できて、毎日出勤できて、そんなことが羨ましい、実家が太かったらさらに羨ましい。
何かくれたっていいじゃん、って思っちゃう。
容姿にしたって、親のコンプレックスばっか受けついでしまって、しかも兄弟で私だけ。子供のころは外見と内面が合わさって学校生活まじで大変だった。マシになったのは19歳の頃。
それも今はボロボロで、毎日しんどい。
なんで生きてるんだろうって考えてしまう。
でも死にたくはないんだよね。やりたいこといっぱいある。いきたいところもいっぱいある。
どうやって生きていこう、どうやって稼ごう。闇バイトとかに手を出さないだけの知性はあってよかったと思うけど、明るい世界でどうやって稼げばいいのか今の私にはわからない。
仕事というものが、というか、人間向いてないんだと思う。
原始時代だったら即村八分にされて死んでるタイプ。現代でよかったのか、それとも原始時代の方が欲求も少なくてすぐ死ねて楽だったかな。
娯楽があるほど欲求も増えるよね。選択肢が多いことが必ずしも幸せであるとは限らない。
選択できないという不幸がついてまわる。
いっそ、死ぬほど辛い子供時代を過ごしたら逆境に立ち向かって飛躍してたかも? なんて考えもしたくなる。中途半端につらかった。いじめ未満はあったけど、いじめはなかった、みたいな感じ。
明日からどうやって生きるか考えないと。気づいたらもう金曜日。つらい。
私はどうやって幸せになればいいんだろう。
誰か幸せにしてくれ、とは思わない。自分で幸せになりたい。
ただそれだけのことが難しい。
きっと死んだ方が楽。
やりたいことなんてなかったらとっくに死んでたなぁと思う。
働かないと、って思うのすら辛い。
仕事の仕方って誰が教えてくれるんだろう?そういうセミナーにでも行ってみようかな?
仕事とお金のことなんて考えずに生きれる環境にならないかな。
自分で動かないとならないって、わかってるんだけどね。
努力できる人ってなんで努力できるんだろう?
努力って才能だと努力ができない人間は思うわけで。
せめて努力できる才能をもって生まれたかったな。
これを怠惰と呼ぶ人もいるだろうけどさ、恐怖に打ち勝つって相当しんどい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?